2011年12月31日土曜日

2011年を振り返る 4 ~薬師如来様~

今年は、薬師如来様に大変お世話になりました。

前のブログで、
身元確認作業で、亡くなられた方のお口の中を拝見している間、
心の中で祈りながらすすめていた、と述べましたが、

作業をしている間ずっと、

私達の周りには、薬師如来様がいる

そう信じて、作業を行っていました。


「目の前にいるご遺体と、この作業に関わるすべての人が
清々しく作業が進められますように、
そして、すべての人が癒されますように

オンコロコロ センダリ マトウ ギソワカ 」

薬師如来様は、医療の神様。

昔むかし、、病にかかってしまっても
お医者様にすぐ診ていただくとか
薬が簡単に手に入る、という時代ではなかった頃、

病を治して下さる薬師様が現れ
奈良時代からその信仰が盛んになり
皆、すがる思いで唱えたといわれる真言。


オンコロコロ センダリ マトウギ ソワカ 

おんころころ せんだり まとうぎ そわか

縁あって、拝見することになったご遺体お一人おひとりに

オンコロコロ センダリ マトウギ ソワカ  

津波にさらわれて、

さぞ、驚いたことでしょう。

どんなにか、痛く、苦しかったことでしょう。

そして、寂しかったことでしょう。

どうか、癒されて下さい。

そして、天国で幸せになって下さい。

オンコロコロ センダリ マトウギ ソワカ

薬師如来様、

いつもいつも、ありがとうございます。

これからも、身元のわからない方々の魂を癒し、
この作業にかかわるすべての人達をどうか見守り下さい。

オンコロコロ センダリ マトウギ ソワカ


2011年を振り返える 3  ~夏の思い出~


今年の夏は、今までとは違う夏を経験しました。


上の2枚の写真はゴーヤ君。
小さな黄色い花と、実がついたばかりのゴーヤの赤ちゃん。

うふふふ~
そう、何を隠そう!

この夏はゴーヤ、あさがおでグリーンカーテン でした。

子供の頃、犬やネコなど動物には愛情を感じていましたが、
植物の成長など一切興味を示さなかったワタシ。

そんなワタクシめ でしたが、
まさか、今年、農作物を作り、それをいただくとは・・・・!


ついでに、あさがおちゃんの写真もあげます。


う~ン・・・・
自然の美しさって素晴らしい!
こんな何気ないお花にも 見とれてしまいます。



ゴーヤ君の成長。



そういえば、バジルちゃんも育ててました。
お花がイマイチ うまく撮れていないデス・・・。


バジルといったら、トマト!
そうそう、トマト君も実が赤くなった時は感激でした。


今、こうしてゴーヤ、あさがお、バジル、トマトなど写真をみていると、
この自然の恵みたちには、夏の間、ずいぶんと癒してもらいました。

省エネルギー対策で始めた栽培でしたが、
逆に癒してくれて、励ましてくれた、夏の菜園でした。

自然のお恵み、ありがとう!





2011年を振り返える 2 ~ご縁のあった方々~

あの日、3月11日をきっかけに、私達の行動パターンは変わりました。

私の場合、その中のひとつが、身元確認作業への参加でした。

「もし自分の身内が行方不明だったら・・・・
いてもたってもいられず、
収容所1か所1か所、ご遺体一人一人
みてまわるだろう・・・」

そう思ったときには、
宮城県歯科医師会の身元確認作業のボランティア参加の呼びかけに
申し込んでいました。


震災前の自分だったら・・・・

「亡くなった方の口腔内を拝見するなどとは、とても私にはできない。」
そう思っていました。

実際、何年か前までは、父が警察歯科医ということで
時折、大和警察署から依頼があり、
収容されたご遺体の口腔内の確認に出向いて行くことがありましたが、
そのたびに、「私にはできない・・・」
そう思っていました。

しかし・・・・

このたびの、この状況。

「私にはできない・・・」
そんな言葉は、まるで忘れてしまったかのように
検案作業に申し込み、参加しました。

行先は、担当の当日朝、
集合場所の宮城県警本部で
宮城県歯科医師会の大規模災害対策本部身元確認班
班長の江澤敏光先生、副班長の柏崎潤先生から
言い渡されました。

石巻市の旧青果市場、
石巻市、元河北町の飯野川体育館、
東松島市の小野地区、
気仙沼市のすぱーく、
利府町のグランディ21
名取市の警察学校、
角田市の元角田女子高等学校
南三陸町のベイサイドアリーナ
そして、
石巻ふれあい広場。

そこで出会ったご遺体は、帰らぬ人となってすでに何日も経っていましたが、
少なくてもあの日までは、元気にふつうに生活をしていた方々・・・

「まさか、このような形であなたのお口の中を
拝見させていただくとは・・・
これも何かのご縁、
どうか、この検案で、少しでも癒され、天国に召されますよう
お祈りしています・・・」

そのようなことを、心の中でおひとりおひとりに
話しかけながらすすめていった歯型確認作業。

このように、
歯型やDNA鑑定、身体的な特徴などに加えて、所持品などで、
身元が確認された方は、岩手、宮城、福島の3県で 2,383人と
といわれています。

しかしながら、
全国でまだ 3,451人という多くの方々の行方がわかっていません。

一人でも多く見つかりますよう、ただただ祈る毎日です。

ニューイヤー・イヴ

今年もこの日がきてしまいました。
ニューイヤー・イヴ

「そこまで新しい年がやってきている!」というワクワク感と
「今日中にこれをしておかなければ!」というmust感が入り混じって、
いつもと違う緊張、緊迫感を味わいながら過ごす日。
ニューイヤー・イヴ!

この上記タイトル、実は映画のタイトルでもあります。

今年を締めくくる前に、「何かいつもと違うことをしたい!」と、
お友達との会話の中で出て、
そういえば、ここのところしばらく「映画館で映画観ていない~」ことに気づき、
「ならば映画を観に行こう!」ということになり
先週、天皇誕生日の祝日、その友達を誘って
公開になったばかりの映画2本ハシゴしました。

1本は「山本五十六」さんの連合艦隊司令官時代の映画、
もう1本が、「ニューイヤー・イヴ」でした。

この映画については後のブログで書いていくこととし、
これから少しずつ今年を振り返っていこうと思います。

2011年12月27日火曜日

一日中、雪、雪、雪

今日は、今年最後の会合があり
診療後、泉区の青年文化センター方面に
出向く予定でしたが・・・・・

ジャ~ン!

ご覧の通り、雪が積もって積もって
車を出す前に雪かきしないといけない~という状態。
そういえば、今日は一日中雪が降っていました。

今朝は、その雪の降り方を見ていて、
急に、3月11日、あの日の雪の降っってきたとこのことが思い出され
わっと涙が溢れてきて止まらなかった、瞬間がありました・・・・・。


さて、夜の会合はキャンセルし、ひたすら雪との闘いでした。
上の写真は、
白一色になった山茶花がライトアップされて、
キレイなオブジェになっていたのでパシャッ!

下の写真は、自宅です。
夕方6時すぎからスタートし、時刻はそろそろ8時。
いい加減、疲れてきたというのと
飽きてきた~というのがありまして、
写真を撮って終わりにしました。


時折、お隣のご主人が、雪かきをして下さっているときがあり
実は、今日も出かけようと外に出たら、
すでに、門の周りなど掃いて下さっていたところがあり、とても助かりました。
感謝!感謝!でございます。

高橋さんご夫婦には、本当に頭の下がる思いがいたします。
いつもいつもありがとうございます。


2011年12月26日月曜日

2011年を振り返える

今年もあと1週間となりました。
いろいろなことを気づかせてくれたこの年。

この何日かは、できるだけ今年を振り返っていきたいと思っています。

いったい、私達は何を学んだのか?
いったい、私達は何に気付いたのか?

そして、この学びや気づきを
今後どのように活かし続け、何に繋げていくのか?

この1週間は今年をかみしめながら過ごし、
新しい年を迎えたいと思っています。


2011年11月23日水曜日

ご無沙汰しております ~セミナーのご案内です~

第3回 佐藤歯科医院 オープンセミナーのご案内

寒さが体に染みる季節になりましたが、
皆様お元気にお過ごしのことと存じます。

さて、このたび世界一のサプリメント企業を目指す 
ニューウエイズの製品についてのオープンセミナーを
開催する運びとなりました。

講師として、谷川順子先生をお招きいたします。

ニューウエイズは、
私たちの体と地球環境にとって、「安心と安全であること」を追求し
製品開発に取り組んでいることで知られています。

「いかに有害な成分を入れないか」ということにこだわり
化学や安全性、処方設計、コスメティック、栄養効果など
さまざまな分野における専門知識を持ち、
幅広い経験と知識を持つ科学者のグループにより構成された
「ニューウエイズ科学諮問委員会」よりアドバイスを受けながら、
安全性に配慮した製品を開発しています。

佐藤歯科医院でも、昨年秋から
◎歯磨き剤やアルコールフリーのマウスウォッシュを受付で販売する、
◎毎日の洗濯用洗剤をかえる 
など、少しずつニューウエイズの製品に
ブランドチェンジしているところでございます。

当日は、谷川順子先生には
ニューウエイズのコンセプトや製品の特徴など
詳しく説明をしていただく予定でおります。

日常、家庭で使われる安全なパーソナルケア製品の
必要性について、見直すよい機会になればと思い
佐藤歯科医院スタッフだけでなく、
患者の皆様にも、お誘い申し上げる次第でございます。

つきましては、下記の通り開催いたしますので、
お誘い合わせの上、ご参加下さいますようご案内申し上げます。

日時   12月6日(火)午後1:30~2:45
場所   佐藤歯科医院 待合室
会費   無料でございます

問い合わせ  佐藤歯科医院 TEL 022-345-2237                            

ご参加いただける方は、佐藤歯科までご一報いただけますと
大変助かります。

2011年8月28日日曜日

今の技術でどこまで歯を残せるか?

先日、長崎で開催された日本歯内療法学会の
関東支部のサマーセミナーが、
御茶ノ水の日大歯学部で行われました。

テーマは上記タイトル。
「今の技術でどこまで歯を残せるか?」

この日は木曜日で佐藤歯科は休診。
夜6時からのスタートだったので、
帰りは最終か、明日朝一番の新幹線だとしても
どうしても聴きたくて参加しました。

数年前までは、何がなんでもインプラント、
もしくは、まだ抜かなくてもよい歯まで抜いてインプラント、
と、インプラントが主流になりつつあるのでは?と
懸念された歯科界ではありましたが、

その反面で、じっくりと地道に診療をして
抜かなくてもよい歯はきちっと治療して温存する、という
先生方も多くおられ、

それはまさに、
私が勤務医時代、お世話になった吉田直人先生の
治療理念と一致しており、私もその影響を大いに受け、
今日までいたっており、このセミナーは是非聴きたい!
その一心で参加しました。

きくところによりますと、
都内から集まった受講者は約130名。

マイクロスコープを使っての歯内療法。
破折してしまった歯までも、抜かずに治す!

う~ん、徐々に私も取り入れてまいりたいと思っています。

            ※

2011年8月27日土曜日

プチオープンセミナーのご報告



8月24日(火)プチオープンセミナーを開催しました。

前ブログでのご案内の通り、講師に灰谷孝さんをお招きし
アシスタントは奥様の灰谷ゆきさん、
受講者はお客様3名と私達当院スタッフ7名。

合わせて12名で、2時間ほど楽しいひとときを過ごしました。

お客様としてご参加いただいた
小学校の養護の先生、保育園の先生、教会の牧師先生には
お忙しい中お越し下さりありがとうございました。

はじめは、ブレインジムっていったい何?・・・・と
頭の中が空白だった方もいらっしゃったかもしれませんが、
実際に、体をつかって「ある動き」をする前と後を比べてみると

あらら~、
体がほぐれている~、
重心のバランスがとれている~
緊張感がとれた~・・・・などなど、
思わぬ効果が表れて
それはそれは不思議で楽しい世界。

時折、脳と体、そしてこころとのつながり、
さらには美容にも効果があるなどの解説もあり
みんな、ナルホド!納得~。

お客様には、「楽しい研修会でした」と喜んでいただき、
また、私どもは、毎日朝、診療前に行っているブレインジムを
さらに続けていくことを確信したのでありました。

その晩、灰谷さん、ゆきさん、妹の由佳里、私の4人で行なった
打ち上げ会。
おおいに盛り上がったのでありました。

灰谷さんは、この夏、キャンピングカーで横浜をスタートし、
多くの方々にブレインジムをお伝えしようと
日本縦断している最中で、この後は岩手県へと入っていく
予定だそうです。

灰谷さん、ゆきさん、
気を付けていってらっしゃ~い。

そして、また是非いらして下さいね!

                ※

2011年8月19日金曜日

プチオープンセミナーのご案内

第2回 佐藤歯科医院 オープンセミナーのご案内 

「灰谷孝さんとブレインジムを体感してみませんか?」   


まだまだ暑い日が続きますが、皆様いかがお過ごしでしょうか?

さて、このたび
米国教育キネシオロジー財団認定ブレインジムインストラクターの
灰谷 孝 先生をお招きして、
セミナーを開催する運びとなりました。

ブレインジムは、
1960年から1980年代にかけて、
教育の専門家ポール・デニッソン博士が
読書能力向上と脳の発達との関連について研究をはじめ
その結果開発した「運動を通して脳を活性化させるプログラム」です。

学力がうまくいかなかったり、
学ぶことに対して前向きな姿勢を示さない子供への
補助的な教育として取り入られ、
成果を上げたことをきっかけに広がり、
世界80か国で導入され、
現在は、数百の学校で学習に対する姿勢(態勢)を整えるための、
とても簡単で楽しいエクササイズとして利用されています。

会社や企業では、
朝礼などでエクササイズとしてブレインジムをすることで、
左脳、右脳が活性され、仕事へのモチベーション向上、
会議がスムーズに進められるようになるなど、
通常の仕事の効率があがるためにも活用されていると言われています。
私ども佐藤歯科医院でも、
昨年秋から毎日、朝のミーティングの前にブレインジムを行ない、
診療の効率アップに役立てております。

さて、このたび
株式会社ビジョンパートナー代表取締役 灰谷 孝 先生には
スタッフ向けのセミナーを行なっていただこうと
思っておりましたが、
「せっかくいらしていただくのに、スタッフだけではもったいない。
 教育に携わっている方や、患者の皆様にも声をおかけして、
 ともに聴いていただき、何かに役立ていただければ・・・」  
と思いました。

しかしながら、会場の都合上、少ない人数に限られますので、
プチオープンセミナーということで開催させていただくことにいたしました。


つきましては、下記の日程で行いますので、
お誘い合わせの上、ご参加いたきますようご案内申し上げます。

日時    平成23年8月23日(火)

時間    午後1:00~3:00

参加費   無料でございます

連絡先   佐藤歯科医院 TEL 022-345-2237


ご参加いただける方は、
佐藤歯科まで電話でご一報いただけますと大変助かります。

                        ※

2011年8月16日火曜日

懐かしの路面電車

またまた長崎の写真です。

向こう側からやってくるのは、長崎市内の路面電車でございます。
でも、ただの路面電車ではありません。

このベージュと抹茶色の電車を見て
「懐かしい~」と思われた方もいらっしゃるかと思います。




               
そう、この電車、かつて仙台市内を走っていた電車ととっても似ている~                                            
     

昭和27年ころに新潟鉄工所所で製造され、
昭和51年3月、仙台市交通局軌道線全廃まで、
仙台市民の足として大活躍してくれた電車たち。

その後、長崎電気軌道が車体を譲り受け
その年の10月に営業運転されたと言われていますが、
おそらく、それら電車の一つではないかと思います。


う~ン、実に懐かしい~。

仙台の路面電車が廃止になるまでの数年間と、
中学校の3年間がダブります。
仙台市内の中学校に越境入学していた私は、
路面電車に乗るのが大好きで
校外で学校行事があるときは、必ず利用していました。

特に思い出すのは、
合唱部がNHK合唱コンクールで、
素晴らしい成績をおさめ、
全国大会出場用の録音をしにNHKのスタジオに通った当時のこと。

それから、
路面電車廃止とキャンディーズ解散と同じ時期たっだような~。
これは定かではありませんので確認いたします。

とにかく、
長崎でこのベージュと抹茶色の電車を見るたびに、
合唱コンクールでがんばった中学時代とキャンディーズ解散が
思い出されてなりませんでした。

2011年8月15日月曜日

カステラサイダー

 ご覧下さい、この写真。
タイトルどおり、「カステラサイダー」でございます。

学会講演の合い間、
勉強仲間の先生方とお茶しましょうと、
会場内の喫茶店に入りました。

メニューには、な、なんと「カステラサイダー」!

これは長崎でしかいただけないだろうと思い、迷わず注文。

高さ10センチほどのかわいい黄色い小瓶2本と
氷の入ったグラスが運ばれてきて、
1本めはウェイターの方がグラスに注いで下さいました。

「うわ~、かわいい~。」
「撮らせて、撮らせて~」

呑む前から、すごい盛り上がりよう・・・・。

で、お味?
そうです、まさにその味でした。

              ※ 

2011年8月9日火曜日

長崎原爆の日

今日は長崎原爆の日。

平和祈念式典には、
福島県いわき市の中学生が招かれたということでした。

核を軍事利用したか平和利用したかの違いはあっても
どちらも放射線被害に違いはありません。

NHkのニュースでインタビューされていた女子学生は
「自分たちもいわき市の復興を願って
 がんばっていきたいと思います」と話していました。

先日、長崎で行なわれた歯内療法学会に参加した際
原爆資料館に行ってきたと、前のブログでもお伝えしましたが、
そこでは、
被爆資料や被爆の惨状を撮った写真が展示されており、
また、原爆が投下されるにいたった経過や歴史のコーナー
熱戦による被害、
爆風による被害、
放射線による被害などが解説されています。

核兵器開発の歴史のコーナーでは、
1983年にドイツの化学者オットー・ハーンが核の分裂を発見し、
それに続いて、ニール・ボアが原爆の可能性を示しつつも、
軍事の利用には反対していた、などの説明がありました。

ニール・ボア先生といえば・・・・

私達が日頃診療で使っている歯科用レーザーの歴史を
紐解いていくと、アインシュタインやニール・ボアなど
時の物理学者の功績にたどりつきます。

が、結局は、
原子核もレーザーも、人間の利己的欲望の結果、軍事利用され、
科学技術の開発は、繰り返す戦争とともに進歩している
と言っても過言ではない人類の歴史になっています。

また、核が軍事利用ではなく平和利用だとしても
その裏には、ビジネスという戦争が存在しており、
兵器ではないけれど、その近くに住んでいる住民の生命を
いつ脅かすかわからない危険性をはらんでいるということで
戦争利用に変わりはないと
痛感する今日この頃です。

平和祈念式典で、長崎市の田上市長は
「原子力にかわる安全なエネルギーを基盤とする社会への転換」
を、訴えていましたが、

私も「原子力エネルギーに頼らなくてすむ世界」を願い、
核保有国には、核兵器禁止条約にさっさと締結していただき
「核兵器のない世界」をみんなでつくることに
フォーカスしてもらいたいと思っています。

それには、
「世界は一つのチーム」
「同じ地球を故郷にもつ仲間」という考え方
大事だと思いませんか?

                    ※   

2011年8月7日日曜日

「歯性病巣感染の現在」花田信弘先生


花田先生は、昨年9月のブログでもご紹介しましたが、
鶴見大学歯学部探索歯学講座の教授であります。

このたびの歯内療法学会でもご講演いただきましたので、
その内容を以下ご紹介したいと思います。

口の中には、何種類もの細菌が存在していますが、
口中の糖分とがっちり結合して「バイオフィルム」という
強固なバリアをつくってしまい、
歯の表面にヌルヌルといたものとして付着しています。

これらバイオフィルムは、
   ①裂溝・・・・・・ものを咬む面にあるくぼみや溝
   ②歯頚部・・・・歯と歯ぐきの境目
   ③根管・・・・・・神経が通っていた管の内面
   ④根尖孔外・・歯根の先端付近
など、  
場所によって細菌の性格が異なってくるので、
バイオフィルムのなり方も違ってきます。

花田先生は、ここで、

なかでも、
④根尖孔外のバイオフィルムが付着している歯根は、
        (歯科では「感染根管」「根尖病変」といいますが)
炎症性産物が持続的に産生されているので、
がん、糖尿、脳卒中、急性心筋梗塞など
全身疾患に共通する危険因子と大きく関わっている。
全身と関わっているのは、決して歯周病だけではない! と、

何度も何度も強調していました。


さらに、

ヒトは血管とともに老いていく。

つまり、加齢とともに動脈硬化が進行し、生活習慣病に罹患していくが、

そのような中で
感染根管を防ぐ適切な歯科医療が提供されることはさることながら、
歯髄炎(歯の神経まで病気)や齲蝕にならないように
糖分の取り方を含めた生活習慣を改善することにより
炎症性産物による血管の老化を遅らせ、
生活習慣病を防ぐことが可能になる、とも
訴えていました。


で、ここからは花田先生の講演を聴いた上で、
私から患者の皆様へのお願いです。

今後、感染根管を増やさないため、

  ☆ まず、とにかく虫歯をつくらない。

  ☆ 詰め物やかぶせたものが外れてしまったら放置せず
    歯科医院で処置する

  ☆ 例えば、体調不良の際など、きまって症状が表れる歯があれば
     感染根管の疑いがあるので、歯科医院で診てもらう

以上の目的で、
予防処置や定期的なクリーニングなども含め
歯科医院を上手にご利用いただければと思います。

それが、結果的には生活習慣病になりにくい体をつくることに
つながるのですから・・・・・。
  
                 ※
 

2011年7月31日日曜日

シーボルト記念館







今日は、昼食の時間にシーボルト記念館に行ってきました。

シーボルトはドイツ人ですが、オランダの軍医。
1823年、オランダの命令で日本の長崎に来ます。

到着後は、日本についての資料を集めたり、知識を深めながら、
国内の医者たちに医学を教えるるなど、
その滞在期間は約6年に及んでいます。

その間、日本人女性と結婚し、娘いねを儲けました。

司馬遼太郎作の小説「花神」は、
娘のいねや大村益次郎らが登場する物語で、
15年ほど前に読み、いねに非常に興味をもちましたが、
それからというもの、シーボルト記念館は
「長崎に行ったら訪ねてみたい!」と
思っていたところのひとつでした。

いねが、2歳のころシーボルトはオランダに帰ってしまいますが、
シーボルトの門弟石井宗謙や二宮敬作らに医学を学び、
日本最初の西洋医学の女性産科医となりました。

江戸から明治にかけての「日本最初の」・・・・と聞くと、
それだけで、なぜが胸がワクワクしてきます。

        ※

2011年7月30日土曜日

長崎原爆資料館







1945年8月9日、午前11時2分,
長崎に原子爆弾が投下されました。

今から66年前。

すさまじい熱線と爆風と放射線。
そして燃え続ける炎・・・。

7万4千人の尊い命が奪われ、
一瞬のうちに長崎の街に大きな被害をもたらしました。

投下された爆弾は、
長さが3、25メートル、直径が1,52メートル
重さが4,5トンもあり
回りの火薬でプルトニウムを内側に爆縮したものだったと
いうことです。

「プルトニウムの核分裂反応でできた放射性物質の 
 内部被曝、外部被曝」
「街が一瞬にして壊滅」など、
3、11東日本大震災と、どうしてもダブってしまいます。

決して、過去の出来事というだけで終わらせてはいけないし、
決して、風化させてはいけない。

長崎市内到着後、
私は、真っ先に長崎原爆資料館に向かいました。

                  ※

この週末は 長崎~、ナガサキ~

やって来ました長崎へ。
目的は、第32回日本歯内療法学会学術大会参加のため であります。

患者の皆様、またまたお休みをさせていただき申し訳ありません。
いつも、ご理解をいただきましてありがとうございます。

歯内療法とは、いわゆる「根の中の治療」のことをいいますが、
歯科治療の中でも、最も基本的で地道な治療であります。

今年のサブタイトルは
「もう一度見直そう、エンド(歯内治療)の重要性」。


さて、長崎空港で迎えてくれたのは、この看板。

不思議ですね。

歓迎の看板のほんの小さなスペースでも
自分が参加する学会名があるというだけで
うれしくなります。

今回は、
仙台→東京→羽田→長崎というルートでのフライトでした。

空港の出口をでた瞬間、蝉の大合唱が・・・・・。
たくさんの蝉たちも出迎えてくれました。

           ※

アルファとともに

新潟からの帰路は西堀通りからスタート。
柳と縦の信号が新潟らしさを象徴しています。



新潟中央インターチェンジで磐越道へ



学生のころ利用していた磐越西線の車窓からの風景と
変わらない青い空、緑の木々


青と緑のコラボレーションがどこまでも続きます
車ごとフィトンチッド浴びたような気分


前日は霧がかかっており、まったく見えなかった磐梯山。
この日は山裾がとてもきれいにくっきりと。


このトンネルが一番長かった~。


スワンちゃんトンネルの中へ


          道中活躍してくれたのが、アルファロメオ147君でした。


※

2011年7月28日木曜日

少林寺拳法部OB会 「宗心会」


大学時代の部活、少林寺拳法部のOB会の集まりがあり
新潟へ行ってきました。

OB会の正式名称は
日本歯科大学新潟生命歯学部
少林寺拳法部 「宗心会」。

少林寺拳法の創設者であり、開祖である「宗 道臣」先生の
志を受け継ぎ、その意向に沿って
我々は活動していくということで、
「宗 道臣」先生の名前をいただいて、
「宗心会」と名付けられました。

「宗心会」は、
会員相互の親睦を図るだけでなく、
少林寺拳法部の現役の育成をも目的としているので、
年に2回の総会、夏冬開催のうち、
夏は必ず母校・新潟で行なわれ
懇親会に現役を招き、交流を図ったり、
大会前の練習にOBが参加するなどの
スケジュールが組み込まれています。


話は、ず~っと遡りますが、
このOB会ができたのは、私達が学生だったころ。
確か大学3年か4年のときだったと思います。

そのころは、
「大学を卒業する→国家試験に合格する」という
大きな目標が頭の中に存在していましたが、
その目標を達成し、
しかも少林寺拳法部に6年間所属し、全うした者だけが
入会する会であるということで、
当時は、「宗心会」という名前を聞くと
「少林寺拳法の哲学をもった歯科医師の集団」
「大人」 「社会人」 というイメージでした。

宗心会に入会してからの約10年は、
年2回の集まりには、何か余程のことがなければ
参加していました。

しかしながら、いつごろからか次第に足が遠退き、
この10数年は、ほとんど参加することもなく
案内が届いても返事を出さず、ということもよくありました。

「いつまでも大学時代の部活の集まりにこだわっていても・・・・」
と思うこともあり、
心の中では、
「もっと歳をとっておばあさんになってから参加しようかな・・・・?」
な~んて考えていました。

そのような中、数年前ある大きな出来事が起こりました。

6年間、少林寺拳法部で泣き笑いをともにしてきた同級生が
病いで倒れたのです。
当時、意識はなく社会復帰は難しいだろうとの診断でした。

その時、私の頭の中を駆け巡ったこと・・・・。

   もし、自分が病いで体が自由に動けなくなったらどうだろう?

   部活は練習が厳しくてつらいときもあったけれど、
   あのころが一番のびのびと楽しく過ごせた時だったのかもしれない。

   自分は少林寺拳法が好きだったし
   少林寺拳法部の先輩、同級生、後輩も大好きだった。

   おばあさんになったら宗心会に出よう、なんて思っていたけれど、
   その前に自分の体が自由にならなくなったら、
   みんなに会うこともできなくなってしまうだろう・・・。

   ならば、今だ!

   今、皆に会える機会があれば、
   その機会を無駄にせず会いに行こう!

そう思いはじめ、懇親会だけにポツリポツリと参加し始めたのが
2年前。


そして、今回。
60回めを迎える宗心会総会。

懇親会には、一昨年あたりから顔を出すようにしていましたが、
総会そのものに、参加するのは実に15年ぶり。

驚きました!
総会次第は満載で、、まことに充実していたものでした。

宗心会会長・平井一也先生(東京町田市開業)の
挨拶から始まり、

出欠の確認後、ブロック活動報告。
活動活発化するために、北海道、東北、関東などと
地区ごとにブロック化されており、各地区からの報告です。

会計担当から会計報告に続き、
監督からは現役の現状報告、
学内医局員の影山教授(前ブログ登場です)からは
学内現状報告など
久しぶりの私にはとても新鮮で、
担当の先生方には頭が下がる思いでいっぱいでした。

続いて、1年後に控える40周年記念祝賀会準備の
進捗状況説明がなされ、
(上の写真は、平井先生が説明なさっているところです)

協議では、40周年記念に関する企画をさらに煮詰め決議し、
常日頃、打ち合わせする機会がない状況の中
よくぞ、ここまで詰めて下さったなと
感謝!感謝!でありました。


総会だけに限らず、会議やミーティングを開催する際は、
その準備や段取りは重要です。

私めもこの10数年、歯科関係の会議や総会の
準備、資料作成、などに関わったり、
時には、司会進行や議長なども仰せつかるなど、
社会勉強させていただく場を与えていただくことで
裏方の大変さ、段取りの重要性は
痛感しているところでありました。


事務局とトップが遠隔地というハンディを
克服しながらの総会開催。

来年の冬は、九州での開催、
1年後は新潟で部創立40周年祝賀行事開催が
予定されていますが、
私はこれからは、できる限り
宗心会に参加していくつもりでいます。


なんで?ともし誰かにきかれたら、

ウ~ン・・・・
一言でいうならば、
少林寺拳法部を通しての、この仲間が好きだから!

ただ、それだけです。

合掌

2011年7月24日日曜日

新潟へ

久しぶりのアップです~。
皆様お元気でしたでしょうか???

私は、今、新潟に来ています。
しかも・・・車でですよ!
車で!

ところで、
上の写真は、実は2~3年前のものですが、
母校、日本歯科大学新潟生命歯学部解剖学教室の影山教授を
訪ねていった時撮っていただいたものです。

写真の右端にいるのが、影山教授。
真ん中にド~ンといるのが、マンモス君の標本。

影山教授は仙台出身で、
私の少林寺拳法部時代の大の先輩。
新潟再生歯学研究会の講師でもあります。

この22日、影山教授は東北大歯学部の学生さんへの
講義で、仙台にいらしていました。

23日、少林寺拳法部の集まりが新潟であり、
車で新潟へ行こうとしていた私は、
(もちろん、高速料金無料の影響です!)
影山先生が新潟へお戻りになる車の後をくっついて
無事に新潟へ来れた!というワケです。

仙台出発前には、影山先生から
眠気覚ましのガムと 伊右衛門「京番茶入り麦茶」
そして、ドライブに活性持続「メガシャキ」の差し入れがありました。
感謝です~。

で、影山先生に、
「速くてもノロノロでも、ワタシ後ろからくっついて行きますから、
影山さんのペースで行って下さいね~」と、
言ったのはいいけれど、
高速道路にのった瞬間思い出しました。

「あ~、そういえば影山先生ドイツに留学していたことあったんだ!
 あの加速の仕方はアウトバーン用だ~」

(私めも、いちおうドイツは2回ほど。
 インプラントメーカーの工場見学などでアウトバーンの  
 あの凄さは経験しておりまして・・・・)

途中休憩でお聞きしましたところ、
「ドイツにいた頃は、アウトバーンは時速270㎞、
メルセデスでビュッと普通に走ってたサ~」とのこと。

うっひゃ~、やっぱり!
あのスピード、ナットクでした~。


昨日、仙台を出るときは、まだ寒さ、涼しさが残っていましたが、
阿賀野川サービスエリアからは暑かった~。


ところで・・・

毎度登場させていただいております私めの顔写真、
実はこの写真からとったものであります。
まさかすぐ隣にマンモス君がいるとはね~。


                 ※

2011年5月31日火曜日

マザーテレサ 

「あなたの中の最良のものを」

人は不合理、非論理、利己的です
気にすることなく、人を愛しなさい

あなたが善を行なうと、
利己的な目的でそれをしたと言われるでしょう
気にすることなく、善を行いなさい

目的を達しようとするとき、
邪魔立てする人に出会うでしょう
気にすることなく、やり遂げなさい

善い行ないをしても。
おそらく次の日には忘れられるでしょう
気にすることなく、し続けなさい

あなたの正直さと誠実さとが、
あなたを傷つけるでしょう
気にすることなく、正直で誠実であり続けなさい

あなたが作り上げたものが、
壊されるでしょう
気にすることなく、作り続けなさい

助けた相手から、
恩知らずの仕打ちを受けるでしょう
気にすることなく、助け続けなさい

あなたの中の最良のものを、この世界に与えなさい
たとえそれが十分でなくても
気にすることなく、最良のものをこの世に与え続けなさい

最後に振り返ると、あなたにもわかるはず
結局は、すべてあなたと内なる神との間のことなのです。
あなたと他の人の間のことであったことは一度もなかったのです。

  ~ マザー・テレサ ~

前ブログでは、祖母の一句をアップしましたが、
今日は、マザー・テレサから全世界へのメッセージ。

          ※

2011年5月24日火曜日

祖母の一句

「 病い得て 余儀なく入院 五月晴れ  泉香 」

この句は、今はなき祖母が26年前に詠ったものです。

祖母は父親の母で、名前は「小田部(おたべ)とめ」。
お歌を詠むときは 「泉香」 。


   お医者様に入院するように言われ、しかたなく入院したけれど
   またすぐに元気になるでしょう、と
   沈んでいる様子でもなく、暗さや重さも感じられない。
   「五月晴れ」という言葉からは、むしろ、「晴れやかさ」が伝わってきて、
   そんな祖母の気持ちが、読み取れる一句でした。

しかしながら、その入院のまま祖母は亡くなってしまいました。
昭和60年5月22日。

大学を卒業してちょうど1年たったばかりの私にとって、
成人して初めて接する「死」でした。

そして、昨日はその27回忌の法要。

あれから26年も経ってしまったのかと、
時の流れのはやさに驚き、
当時、般若心経を読解し、「輪廻転生」の本を夢中で読んでいた
そんな昔の自分の姿を懐かしむ
機会でもありました。

この日は、同時に
祖父・小田部利(とし)の23回忌、
伯父・小田部晃(あきら)の17回忌も執り行われました。

父方の親戚が集まり、顔を合わせるのは震災後初めて。

日頃の無沙汰を詫び、ともに元気であったことを確認し、
これからも体に気を付けていきましょうと互いに励まし合いながら
また別れる。

そんな当たり前のことだったのですが、
皆無事で、再会できたことがが、とっても有難いことで、
それが幸せというものなのかもしれない・・・
そんなことを痛感した一日でもありました。

合掌

             ※

2011年5月18日水曜日

Shanta from Qatar


今日は、とってもとっても懐かしい友人が訪ねて来てくれました。
遠い国、カタールから!

写真中央が、シャンタさん。

彼女は、アメリカ、ニューヨーク大学出身。
1996年ころから2000年までの数年間、
ALTとして、つまりAssistant Language Teacher 外国人語学講師助手として
京都、札幌、宮城に滞在し、英語を教えてくれていました。

もちろん、わたしもその生徒の一人で、
彼女が日本を離れる前までお世話になりました。

週1回、診療後、シャンタさんの部屋を訪ね、
個人レッスンをうけ、そのあとはおしゃべり~。

彼女は敬謙なイスラム教徒。
その文化や習慣の違いを教えてもらったり、
ニューヨーク出身なので、N・Yの話で盛り上がったり・・・。
(ニューヨークは、当時一番大好きな街でした。
 その後、イタリア・ミラノに行くまでは・・・・)

また、学校の授業のない時間に、患者さんとして診療に通い、
時には、一緒に美術館に足を運び、
ランチ誘っても、ラマダンなのと断られ、などなど・・・。

異国の友人達との思い出は、またひと味違った楽しい記憶として
よみがえります。

そして、このたびなんと10数年ぶりの再会。
しかも、9歳の愛息子連れて!

日本出国直後は、オマーンで英語の先生をして、
今は、その隣の国カタールで、やはり英語教師として活躍しているとのこと。
今は夏休みだそうで、1週間しか日本に滞在できないということで、、
あすは被災地にいってボランティア活動し、20日には
カタールに向けて発つと言っていました。

久しぶりにシャンタさんに会えて、母も大喜び!

元気出たよ、シャンタさん。
訪ねてきてくれて本当にありがとう!

 It was very nice meeting you, again !
Thank you ,Shanta!!

                                                ※

2011年5月6日金曜日

復興構想会議

あれは、4月の半ば。

いつものように (というよりも、震災後は、きまって)
夜9時からのNHKのTV番組
ニュースウォッチ9を見る時間帯に合わせて
お夕飯を食べていました。

その番組でのインタビュー。

回答と解説は、
振興構想会議の検討部会メンバー、藻谷浩介さん。

日本政策投資銀行参事役で、
著書「デフレの正体」はベストセラーだということです。


「被災地の復興について、どうように考えているか?」
という質問に対してのコメント、

「自分は過去に国内ほとんどの町を訪れていて、
 その地域の特性を知っている。

このたびの地震や津波で沿岸部は大きな被害を被ってしまったが
水産資源は被害を覆っていない。
豊かに水産資源が残っている限り、被災地は必ず復興します!」と、

言い切った。

凄い!

頼もしい~。
この力強さ。

食べるのも忘れ、思わず手を叩いてしまいました。
「これだ!この言葉を待っていたのだ!」と
私と同じように思った方もきっと多いはず。

断言して下さったこの言葉を
被災された町の住民の方がきいていたら、
どれだけ励みになっただろう!
どれだけ救いになっただろう!

その言葉の中には、
決して誇大な表現があるわけでもなく、
まわりくどい説明するでもなく、
専門用語など難しいことばなど使わずに
終始、誰がきいてもわかりやすく、
何よりも、その話し方が誠実だった。

そのような印象でした。

ニュースやテレビ番組で、
できれば、また藻谷さんの力強いコメント聴きたい、、
などと思っていたら、

宮城県で新たに設けられた「震災復興会議」の
12人のメンバーのお一人として、バッチリ入っており、
早速5月2日、第1回目の会議が執り行われました。

まずは、8月中に復興計画を策定する予定ということですが、
藻谷さんはじめ、専門家の方々よろしくお願いいたします!


               ※

2011年4月29日金曜日

四十九日

一緒に住んでいた祖母がなくなって、
早13年も経ちますが、
四十九日を迎えたときの感情は
今でもはっきりと覚えています。

そう、あれはちょうどその日。
和尚さんが自宅に来て、般若心経を唱えて下さったときのこと。

般若心経の最後のほうに

羯諦   羯諦    波羅羯諦    波羅僧羯諦
ぎゃてい ぎゃてい はらぎゃてい  はらそうぎゃてい

という言葉が出てきます。

それまでは、
「ぎゃてい」 という言葉を聴くたびに
非日常的な発音で、まるで亡くなった方の叫びにも聴こえる・・・
そんな風に感じていました。

が、その時は、「諦める」という文字が
妙に気になり、和尚さんに訊ねました。

「今、般若心経を唱えていただき、
 ようやく祖母が亡くなったことを受け入れることができました。

 祖母はもう生きてはいないのだということを
 ようやく諦めることができたのです。

   「ぎゃてい」という言葉を聴き、
   「諦める」という文字を見た瞬間にです。

 私、間違ってますか?」 と・・・。

すると、和尚さんは、

「恐らく、おばあさんも諦めているでしょう。
 この世で生きるということを。

 また、もう自分はこの世では生きてはいないのだ 
 ということを悟っていることでしょう。

 おばあさんはこの世にはいないということを
 家族や周りの方々、それから誰よりも本人が
 明らかにすること、つまり明らめることで、
 諦め、成仏するのだと思います。」

私の問いかけを否定することなく、応じて下さいました。


そこではじめて、
祖母のお骨を納骨することに同意することができ、
同時に、
私自身の心の置き場所も見つかったような感覚になりました。

そして、
ここまでくるには四十九日という長い時間を要することなのだな、
ということに、うなずけました。


しかしながら、このたびの大震災。

あの日から49日。

49日も経っているというのに、
まだ行方のわからない方が11,324人も!

まだ、家族の行方がわからないご遺族の方々にしてみれば
どのような意味をもたせようともこの49日間は、
まったく意味のなさない時間。

26日の検死は、気仙沼でした。

9人の方の冷たく冷えきった体を拝見しましたが、
その方達でさえ、ご家族に会うまでもう少し時間がかかり
「諦める」までにも時間がかかるかもしれない・・・。


修証義の冒頭。

生を明らめ、   死を明らめるは、 仏家一大の因縁なり
しょうをあきらめ、しをあきらめるは、ぶっけいちだいのいんねんなり


昨日は、たくさんの被災地で、慰霊祭が行われました。

3.11の震災で犠牲になられた方々全員が、
天に召され、天国で幸せになりますように
ただただ、お祈りするばかりです。

      ※



 

2011年4月19日火曜日

4月の雪

今日は雨。
そして、夕方から雪にかわり、寒い一日でした。

今日の身元確認作業は、石巻飯野体育研修センター。
石巻市合併前の河北町。
旧北上川の川沿いにある町でした。

車で15分ほど行ったところに大川小学校があります。

大川小学校は、あの日、
授業が終わって、これからお家へ帰るという時間帯に地震が発生し、
皆で校内で避難しているところへ
2階建ての校舎まで津波が押し寄せてきた学校です。

108人の児童のうち、
74人が死亡、又は行方不明になってしまいました。

今もまだ、3人の児童の行方がわかっていません。


現場から県警本部に戻り、
今日一日、一緒に作業していただいた古和田先生に
駐車場まで送っていただき、
自分の車を「さあ運転しよう!」というところで、
雨が雪にかわりました。

夕方の暗さに加えて、雪雲に覆われた灰色の空。
風も強く、斜めに降る雪。
もう4月だというのに、堂々と降っている。

街並みが途絶え、田んぼの中を走る国道に景色が変わった途端に
急に涙が溢れてきてしまいました。

灰色の空。
斜めに降る雪。

この情景を目にした瞬間、あの日が思い出され、
と同時に、
その時、あの大川小学校や海沿いのいたるところに
津波が押し寄せ・・・。

そう思うと、ますます涙は止まらず
しばらくは泣きながらの運転でした。


今日は本当に寒い日だった。

       ※

2011年4月18日月曜日

生かされているということ

このたび、何人ものご遺体に接し、

生きるってなんだろう?
生きているってこういうこと?

今さらながら・・・・ですが、
そのような問いかけが何度も何度も
自分の中で、繰り返されていました。



初めての身元確認作業の翌日の診療。

自分の目の前にいる患者さんは、
「お口開けて下さ~い」と声をかければ
反応し、開けて下さる。

「このあたり感じますか?」とお聞きすれば
痛ければ痛そうに、
そうでなければ、痛くないと首を振って反応して下さる。

口を開けていると、唾液が出てくるので、
アシスタントがバキュームをする。

そして・・・
何よりも、頬が温かい!


あ~、これが生きているっていうこと?


私たち、生きているんだ!


生かされているんだ!


ごく当たり前の体の動きや反応なのに
そう思った瞬間、涙があふれてきて止まらず、
しばらく診療になりませんでした。



神様!

ありがとうございます。

亡くなられた方の分まで、精一杯生きていきます。


              ※

2011年4月17日日曜日

法医学教室の午後

「法医学教室の午後」という本がありました。
確か、大学を卒業した年か翌年、
ですから、昭和59年か60年ころです。

とても興味深く読んでいました。

このたび、法医学教室の先生方に、
大変大変お世話になりました。

この15日、被災地である石巻へご遺体の身元確認作業に
行ってまいりました。

その際、全国からお集まりいただいた法医学教室の先生方に
同行し、いろいろと教えていただき、
また、そのお姿に心打たれ、これからの励みとなりました。

奈良県立医科大法医学教室の川島先生、
大阪大学法医学教室の藤本先生、
そして、千葉大医学部法医学教室の槙野先生、

ありがとうございました。

今回教えていただいた事を活かしながら、
今後の検案作業に取り組み、
一刻でも早く、ご遺族様のもとへ
お渡しできるよう努力いたします。





ご遺体検案

あの日の地震、津波により
多くの方々が行方不明になってしまいました。

そして、身元不明のご遺体になって・・・・・。

そのご遺体検案のため
地震発生直後から、県下に10か所の検案場所が設置され、
日本歯科医師会、日本法医学会、東北大学、
そして、
宮城県歯科医師会の会員により、
毎日、ご遺体の検死が行われています。

すでに、これまで全国から約1000人ほどの歯科医師が
被災県に入り、協力して下さったということです。

行方不明でまだ見つからない方がたくさんいらっしゃり、
つらく、悲しい毎日を過ごされている方々のことを思うと、
いたたまれない・・・・。
少しでも、何かしていないと
いてもたってもいられない・・・・・。

そのような気持ちから、検死協力に申し込みました。

3月の時点で、
「水・木・土・日曜日に申し込む歯科医師は多いけれども、
 火・金曜日が比較的少ないです」と、
歯科医師会事務局担当の方の話でした。

自分が無理なく、申し込める火曜日、金曜日・・・・。

4月15日、19日、22日。

メンテナンスの患者さんのご予約が
すでに何ヶ月も前から入っていましたが、
妹、由佳里に協力してもらえれば行ける!

そして、申し込みました。

歯科医師会からの連絡では、
「3日間ともお願いします」とのことでした。

お断りする理由は、全くないので、
「こちらこそ、よろしくお願いいたします」

行方不明になっている方々が、
一日でも早くご家族のもとへ帰られますよう
協力させていただきます。

ただ、それだけ。

一日も早く、家族のもとへ・・・・。

ただただ、それだけです。


       ※

2011年4月8日金曜日

また停電

また来ました、あの日と同じ地震。
                                                              そして、停電。 
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                       しかも、今度は夜中。 

                                                                       電話もつながりません。
                                                                                 直後、暗闇にヘリと救急車のサイレンが鳴りひびきます。 
                                                  
その後に続く余震のせいか、
めずらしくこんな時間まで起きてしまっています。

                ※

2011年3月22日火曜日

節電診療中

22日(火)から、通常通りの診療、再開いたしました。
実に、11日ぶりです。

まだ、ライフラインが復活していない地区の先生方や、
診療所が被災にあわれた先生のご苦労に比べたら、
自分はまだまだ苦労など少ないほう。

ここは、診療に全力投球して参ります!

それこそ、「今の自分にできること」であります。

通常どおりの診療, とは申しましても、
「節電」 「節水」「節ガソリン」です。

節エネルギーの折、
節電しながらの診療をいたしますので、
患者の皆様、 ご理解とご協力をお願いいたします。


受付には「節電診療中」のポスターを立てかけました。  
南に面している待合室は、
日中は照明がなくても比較的明るいので、  
夕方まで照明はOFFとさせていただきます。   

駐車場外灯も、電源を切らせていただきました。   
車止めなど、足元に充分ご注意下さい。  

診療室、待合室、カウンセリングルーム、患者さん用化粧室への  
音響・BGMは控え、診療室、待合室でのラジオ放送といたします。


少ないガソリンを有効的に!ということで、  
車通勤のスタッフのシフトも調整しております。


以上、大きく目立った節エネルギーの箇所をご紹介しましたが、
まだ他にも、細かな節約を心がけております。

患者の皆様には、ご不便をおかけし、
また何かと不行届きの点があるかと思いますが、
ご理解をいただき、ご協力をお願いしたいと存じます。

何卒、 よろしくお願いいたします。


              ※

2011年3月21日月曜日

今の自分にできること

今の自分にできること。

  とても限られているけれど、
    友人の地域が、まだ電気、水、ガスがストップしていたら
    「お風呂入りにおいで~」
    「泊まりにきてもいいんだよ」  と・・・・。

  そして、
    「お風呂に入れてシアワセ~」
    「お水が出ることが、こんなに有難いこととは!」
    「思い切って電話したけど、泊めてもらえてよかった」

 当たり前のことなのだけれども、
 ほんの少しのことで幸せ、喜びを感じ、
 恵みへの感謝の気持ちを、友人たちと共に感じています。


今の自分にできること。

 友人たちや先輩、後輩からの問い合わせに応えるべく、
 問い合わせの方へ安否確認の電話やメールをして、
 わかれば「無事であることの」をご返事連絡。
 その繰り返し作業も、がんばります。

 大学の同窓会では、宮城県内約140名の先生方のうち、
 ほとんどの会員が無事であることが、
 確認できたのがようやく昨日。
 これは、皆の協力なしではできまません。

 しかしながら、あと二人の先生の安否確認ができていません。
 そして、ご家族の行方がわからない先生もいます。


今の自分にできること。

 節電、節水、節ガソリン、節食糧。
 貴重な資源は必要な分にとどめます。

今の自分にできること。

 どんな時も、笑顔を忘れずに!
 
そのような中、
 勉強仲間の先生と大学時代の先輩から
 数日前、たまたま同じ日に電話をいただきました。

勉強仲間の永井茂之先生(東京都、五反田開業)は、
「せっかく命拾いしたんやから、楽しくやろうよ楽しく!」
大阪出身、大阪なまりの励ましの言葉が、
やけに新鮮に聴こえます。

そして、日本歯科医師会で募集している
「ご遺体検死確認のボランティア、申し込んだよ!
 この俺に何かできることないかなと思ってさ」とも。

涙が出てきました。

ありがとう!
ともにこの被害を分かち合ってくれる仲間がここにもいる!と
そう思った瞬間。
涙、涙でした。

その直後、先日、札幌の平木君に一緒に会いに行った先輩
茂木紳一先生(北海道、八雲町開業)からも電話がありました。

「おお~ッ!無事か~~!  無事でいがったなア~。」
こちらは、北海道、函館なまりである。

「俺よ~、54歳、ひとつここで何かしなきゃならんと思ってよォ、
 ご遺体の検死確認、申し込んだぜ!」
「今さら、被爆したって、どうってことないさ、と思ってな。
 本当に行けるかどうかわかんないけど、
 言われたら、どこへでも行って協力するさ」

あ~、茂木さん、ありがとう!

先輩の、その気高い「志」そのものが私達の励みになるのです!
本当にありがとう!

そう思うと、また、涙、涙、涙・・・。

そう・・・・
誰もが、「今の自分にできること」 として
考え、行動し 協力し合って、危機を乗り越える!

お友達や勉強仲間、遠隔地にいる患者さんから
たくさんのメールや電話をいただきました。

本当にありがとうございました。

いただいたメッセージひとつひとつが、
「大きな励み」となり、「力」となりました。

まだまだ、この状況は続くでしょう。

でも、一番辛く大変なのは
被害を受けた方々や、 大切な命を奪われた方とそのご家族。
そして、今も被災地でがんばっている方々。

私達も、がんばっていきます。

ともに、この試練を乗り越えて行きましょう!

           ※


   

親戚無事

電話やメールなど通信関係が復旧されてからは、
お互いの安否確認や、行方がわからなくなった方の
情報収集依頼のメール発信などで、
ず~っと携帯電話とPCとはお友達。

実は一昨日まで、福島県在住の親戚2件と連絡がとれない状況でした。

2件とも、福島県双葉郡富岡町の夜ノ森(よのもり)。
まさに、あの原発10㎞圏内です。


こちらの電話が開通したのが16日。

それから、親戚の家に電話をしても相手先のエリアは、
「ネットワーク故障のため・・・」のマシーンしか応えてくれない・・・・。

でも、きっと無事でいるはず!
そして、どこか安全なところに避難してくれているだろう。

そう信じて何度も何度も電話する。

どこにいるの?

避難所にいるの?


従弟の一人は歯科医院を、一人は薬局を開業しています。

連絡が全くとれないとなると、あらゆる手段を考える。



   あ~、そういえば、歯科医師会でお世話になっているあの先生、
   確か、従弟の大学時代の同級生だったはず!

何度めかの電話でようやくその先生と話ができ、そこで得た情報は、
「自分も気になっていましたが、
 どうも他の同級生の話によると、木村君は無事のようです。
 でもどこにいるかわからない。」と・・・。

そのような情報を手がかりに、そこからは早く展開し、
その後、全員皆無事県外に避難していたことがわかりました。


無事とわかっていても、どこにいるのかわからないその不安。

津波で行方不明になった家族を思う気持ちは
このような私達の何十倍もの不安かと思うと、
一刻も早く多くの方の救出を願います。

どうか、生きていてほしい・・・・

昨日、石巻での80歳女性とそのお孫ちゃん16歳少年の奇跡的な救出が、
私達にたくさんの希望をもたらしてくれました。


               ※

2011年3月20日日曜日

この1週間

地震発生から、1週間が経ちました。
正確には10日。

この10日間、何をしていたかといいますと・・・・・

直後3日間は、
妹が食糧を調達しに動いてくれたので、
私は必要な雑貨、電池、カイロ、車からのバッテリー充電器などを
求めて彷徨い、ホームセンターで並ぶこと2時間。

そして、自宅の壊れた食器や、
本棚から押し出されたかのように散らばっている本、本、本・・・
その片付けで明け暮れました。

電気がストップしていたので、明るい時間内での行動となります。

朝6時に起きて、暗くなるギリギリの夕方6時まで。
この12時間が行動できる貴重な時間帯です。

不思議ですね。
いつもと変わらず、太陽は 私達に光と暖かさを注いでくれているのに、
その当たり前のことが、こんなにも有難いことだったなんて!


14日(月)夜遅くに電気が通じたので、
翌日から診療室玄関の鍵をあけました。

診療室の中は、

    本棚から崩れおちた本の山々や

    天井備え付けのエアコンの蓋が開き、
    フィルターが床に落とされていたり、

    通電後の火災防止のため、
    冷蔵庫や器械類のコンセントが無造作に抜かれたままだったり

まだまだきちんと片付けなければならないものが沢山ありましたが、

急患の患者さんを受付けるということで、開けました。


多かったのは、前歯のトラブルでした。

    前歯の仮歯がはずれてしまった。
    前歯の詰め物がはずれてしまった。
    子供さんの卒業式が行われるので、予定通り仮の歯を入れたい。
    入れ歯が割れてしまった。
    しばらく県外、国外に行くので、仮の歯がとれないようにしたい。

災害時でも関係なく、お口の中のトラブルは起きます。

ガソリン入手が困難な状況の中、
普段なら車でいらっしゃるところを、雪振る中歩いてお見えになったり、
「ガソリン何とかして行きます」と遠くから車でいらしていただいたり、
患者の皆様には、頭の下がる思いがいたします。


そのような中
大活躍してくれたのは、歩いて通勤できるスタッフ3名でした。

熊澤由雅里さんは、
地震発生の翌朝、
「診療途中のままだったので、器具を片付けにきました~」と
元気よく片付けにきてくれました。
ご主人には、車からの充電器などで大変お世話になりました。

他の二人はこの春採用したばかりの新人であります。

菅原日登美さんは、
過去に他の歯科医院で4年間歯科アシスタントをしていた経験もあり、
状況を把握してくれるという、すでに心強いスタッフの一人になっています。
地震直後から、ご主人の実家に身を寄せて、
車通勤の距離になってしまいましたが、ご主人の協力もあり
出勤してくれました。


そしてもう一人、残間美穂さんは、
この3月に高校卒業したばかりのピチピチフレッシュウーマン。
昨年10月から、夕方のみアルバイトでお手伝いして下さっており、
また、子供のころから佐藤歯科医院の患者さんでもあったので、
先輩スタッフに可愛がられ、その笑顔に私達も癒されます。


まさか、このような形でスタッフを紹介することになるとは
思ってもおりませんでしたが、以上の3人と、妹、由佳里に支えられ、
何とか、診療所を開けることができました。

いつ地震がおきて、すぐに逃げてもいいように厚めに着込み、
普段のCDはラジオに切り替え、
節電の折、必要最小限のところでスイッチONにし・・・・等々

いつもとは違った中での診療となりました。


今、このような状況の中、私達にできること・・・・・。

そう思ったとき、
予約の患者さんが、たとえ来院できない状態でも、
診療所を開けること 。

まずは、それでした。


         ※

2011年3月18日金曜日

日が経つにつれて

日が経つに連れて、いろいろな情報が入ってきて
知らなかったことがわかったり、明らかになったりしています。

 地震発生時の様子

 津波に追われて、逃げてきた方の話

 水がひいて、何日めかにようやく自分の家に戻ったときの
 変わり果てた町の様子

 命は助かったけど、診療所ごと津波にさらわれてしまった
 同業の先生の話

 検死確認に行って下さった先生からの話・・・・・と、


 まだまだ、まだまだ続きます。

 つらいのは悲しい知らせ。

 とにかく、祈るのは
 行方不明になった方々が無事であることです。

              ※      

2011年3月16日水曜日

どうかご無事で

ライフラインが復旧されず、電気、水、ガスで困っている方々。

復旧にはまだ時間がかかるかもしれないけれど、

がんばって乗り切ろう!


私達には家があります。

家族がいます。

そして、何よりも己の命があります。


「これで、この世の終わりか!」とも覚悟させられ、

あの荒れ狂う巨大な地揺れのなすままになった私達。

その中で、
たまたま家の中にいなかった
たまたま本棚や箪笥のそばにいなかった、
たまたまエアコンの下にいなかった

そんな少しのタイミングで、怪我もなく命拾いした私達。


今、こうして生きているということが、どれだけ感謝すべきことか!



一方、町が大津波の被害にあって、行方不明になった知人や友人、

津波にさらわれてしまったかもしれないお世話になった方。

どうか、どうか無事でいて下さい。

どうかご無事で・・・・・。


ただ、ただ祈るばかりの毎日。


             ※

2011年3月15日火曜日

患者の皆様へ ~診療についてのご連絡~

このたびの地震災害につきましては、
皆様には、大変ご心配をおかけいたしました。

まず、私達、佐藤歯科医院スタッフ全員8名無事です。

そして、当時診療中だった患者さん、
待合室でお待ちの患者さんや付き添いの家族の方など
合わせて9名の方々も全員無事でございました。

また、自宅にいた父・母も幸い無事でした。

電気は、その瞬間から昨日14日(月)の夜までストップしており、
その間、携帯・PCは使えず
皆様へのご連絡が大変遅くなってしまいました。

近隣の市町村はまだライフラインが
復旧していないところも多く、
  スタッフが出勤できる状況ではない、
  患者の皆様も通院できる状況にもなっていない
  さらに、先日と同じレベルの地震が発生する確率が高いなども
考慮しまして
通常の診療開始は3月22日(火)からと
いたしましたのでご連絡申し上げます。

なお、15日(火)から19日(土)までの期間中、
午前9時~12時は、急患の方は受け付けております。
その時間帯にご予約変更等のご連絡をさせていただくことも
あるかもしれませんのでよろしくお願いいたします。

患者の皆様には、大変ご迷惑をおかけいたしますが、
ご理解とご協力をお願い申し上げます。


            ※

2011年3月6日日曜日

札幌~ サッポロ~ さっぽろ~

行ってきました北の国。


土曜午后4時、
妹と矯正専門医の岡本先生がまだ診療している中、
「お先にごめん!では、行ってきまする。」とスタッフに別れを告げ、
向かいました札幌へ!

目的は、大学時代の同級生である平木君に会うためです。



平木君は、ただのクラスメートということだけでなく、
少林寺拳法部で、汗や涙、笑い励ましながらともに6年間を
過ごしてきた大切な仲間の一人です。

その平木君が数年前、病で倒れ、今はリハビリ中心の生活を送っています。

一昨年、少林寺拳法部時代の仲間と平木君に会いに行きました

今回はその2回目であります。

ここのところ、立て込む行事が続いていましたが、
「仲間とともに平木君にまた会える!」ということが
とってもとっても楽しみで、またそれを励みに
今日までがんばってこれた、そんな気がします。



仙台空港でまず、拳法部時代ず~っとパートナーとして組んでくれた
鈴木直子さん(仙台市青葉区開業)と合流し、千歳空港へフライト。

ちなみに彼女は、卒業後も少林寺拳法を続けていて今や5段!
しかも、全国大会で日本一!いや世界一にもなったはず。
まさに彼女は私達同期の花形であり、誇りであります。

札幌で合流したのが、
矢口敦久君(北海道旭川市開業)と 茂木紳一先輩(北海道八雲町開業)。

矢口君はいつ会っても「永遠の少年」のようで、
また、茂木さんはドスのきいた声と独特の口調で
いつも私たちを笑わせてくれます。


さて、以下今日一日の写真です。

朝食後、チェックアウトし、平木君との待ち合わせまでの
ワクワクのひととき!






一昨年会ったときよりも、かなり元気になっていた平木君。
奥様が「皆で写真を撮りましょう」と言って下さったとき、
「私達自身のカメラでも写真とってもいいですか」の問いに
「いいですよ~」とおっしゃって下さり、皆でパシャッ!

「平木君も今日この日をとっても楽しみにしていた」とお聞きし、
そして、「また来て下さいね」と奥様からも言っていただき、
「あ~、来てよかった~。」と実感。
「平木君、また来るね!ありがとう。」





平木君と別れ、札幌駅まで歩いて帰る途中。
私たちのずっと後ろに見えるのが、旧北海道庁。
市内には、雪がまだまだドッサリありました~。





札幌駅から電車に乗るまでの時間。

駅の地下のライオンで乾杯~!(運転控えてるので、私ノンアルコ~ルビ~ル~)

昨夜8時半ころ皆で合流して、別れるまでの約20時間。

呑んで、食べて、しゃべって・・・・・。

一日ずーっと一緒にいても違和感がないのは、かつて合宿などで

何日も生活を共にした仲間だからかな~?なんて話をしながら

私たちは札幌を後にしました。



今回の「平木君に会いに行こう!」の計画は、
昨年秋ごろから、鈴木直子さんが平木君の奥様と連絡を取り合って、
段取りしてくれました。

そして、昨年11月、少林寺拳法部OB会東北ブロックの会議のときに、
皆の行けそうな日をピックアップし、
その後、奥様に連絡をして3月の5、6日に決めたり、
一緒にランチできるかどうか確認したり、
直子さんと奥様のおかげでこのように楽しく過ごすことができました。
ありがとうございました。
実は福島県からもう一人、一緒に行く予定の同級生がいましたが、
あいにく会議が入り、やむなく断念。
でもまた、皆で平木君に会いに札幌に行きたいと思います。
平木君、それまでお互い元気に参りましょう!

              ※


2011年2月15日火曜日

セミナー満載でした

建国記念日前日の10日(木)は、午前診療、午後から上京し、
いくつかのセミナーに参加。
その合い間にミュージアムなどにも足を運んでみました。

まずは、歯科マーケティングセミナー。

そして、コーチング。

その間に、レオナルド・ダ・ヴィンチ展。

あ~、それから昨年亡くなられたミュージシャン深町純さんの

ライヴレストランにもおじゃましました。

そして、日曜日は朝一で仙台に戻り(眠い~)

宮城県歯科医師会主催のアメリカ心臓協会・救命処置研修会。

バッチリ懇親会まで参加させていただいた佐藤であります。

           ※

           ※

フ~ッ!満載でした~。

インプットしたからには、アウトプットしなければね。

そのためには、自分なりのスループットを拡げておく・・・・。

がんばりま~す。

              ※

              ※

先日、スタッフの鶴谷千恵さんとお話しをしていたとき、

「先生は、ストレス解消にどんなことしていますか?」と聞かれました。

ストレス解消にどんなこと?

う~ン・・・・???

「特にストレス解消のために意識的に何かをするということはないけれど、

日常の生活の場や職場から離れて、上京して講習会に参加するとか、

興味のあるセミナーを受講するとか・・・、それだけでも、私にとっては

気分転換になって、リフレッシュできているのかも?」

な~んていう話をしていました。

               ※

気分転換やストレス解消のために、

わざわざ上京して講習会に出るということでは決してないのだが、

自分のバックグランドである宮城県を離れ、(←ココ大事かもです)

日々の臨床に役立つ講習会や、

自分の基準が高まることに繋がるセミナーを受けて、(←コレも大事かも)

「ようし!また明日からばんばるぞ~」の気持ちになって帰宅し、

明日の診療に臨むことが、私のストレス解消になっているとすれば、

それはそれとして大事なパターンとしてあたため、

このままで参りたいと思っております。

                 ※

でも・・・・・一番のストレ~スのもとになっているのが、

毎回毎回の新幹線往復チケット代だったりして~。

トホホ~・・・

               ※


2011年2月11日金曜日

パーソナルファウンデーション

1月29日(土)から
NPO法人 日本スクールコーチ協会
認定スクールコーチ養成講座[応用コース] がスタートしました。

その第一日目は「パーソナルファウンデーションの整備」

パーソナルファウンデーションとは?

自己基盤

    自分の望む人生のために必要な指標や指針、基準となるもの。
    確固たる土台。

それらが、今、自分に備わっているか?

「コーチとして」という以前に
まずは、人間として備えたい要素は何か?
または備えるべきものは何か?

そのためには、いったい自分は何を大切にし、
どういうところに価値をおいているのかを知る。 

そして、コーチとして青少年と接するとき、
彼らにもたらす影響というものを認識し、
注意深く接するには、どこをどうしたらよいのか・・・・

う~ン、第1日目からかなりコアな内容でありました。

これは、コーチになるために必要というよりも
まずは人間として自分はどうあるべきか
自分自身を問いただす非常によい機会であると痛感。

そして、2月12日は第2日目。
ブレインジムを活用してのコーチングの取り組みです。

講師の皆様、よろしくお願いいたします。

2011年1月29日土曜日

パノラマ君  選手交替

1月27日(木)、パノラマレントゲンの選手交替をしました。

この写真は、今までお世話になったモリタ社のパノラマ・Panex君。
その顔です。


そして、そのボディ。

私が、佐藤歯科医院に勤務したばかりの平成元年。

彼は、前院長である父のもとで、すでにバリバリに活躍していました。


その活躍ぶりは、
初診の患者さんが来院した時、
レントゲン診断に欠かせないものとして必ず撮影する、ということで
フル回転で働いていました。

主訴となる部分だけでなく、
お口全体・・・上顎・下顎全体を写し出し、
来院のきっかけとなったトラブルの原因を探ったり、
ほかに問題となる虫歯はないかや
歯周病どれくらい進んでいるかなど、診査していくのに
大いに役に立っていました。



平成15年の、院内リフォームのときは、
旧診療室から一旦倉庫へと運び出し、
3ヶ月半もの間、倉庫で休憩してもらい、
リフォーム後、診療室へカムバックアゲイン!

よくぞ今まで働いて下っていました。

今日はその別れの日。

スタッフの熊谷亜矢さん、鶴谷智恵さん、千田美樹さんと ともに
Panex君本体をピカピカに磨き、レントゲン室の中もきれいに拭きそうじをし、
お別れと感謝の気持ちを告げました。

   今まで、本当にありがとう。
   毎日一緒にいたので気が付かなかったけれど、
   長い間、体を酷使し、いつも診療の協力をしてくれたね。
   心から感謝しています。

   今まで撮影してくれた数えきれないほどの
   パノラマレントゲンフィルムは、カルテとともに大切にに保管し
   まだまだ活用させてもらいます。

   今までの何十年間本当にありがとうございました。
   

                     お清めの塩とお酒を捧げました


相手は、人間ではなく機械だというのに、
だというのに・・・・、
別れの辛さと感謝の気持ちとで、自然と涙が溢れてしまったワタシ・・・。

その時、思ったのは
自分は、「この人だ!」、「この機械だ!」と思ったら
トコトン惚れ込んで、じっくり付き合うタイプ。
じっくり使い込ませてもらうタイプなのだな、ということ。

そういえば、15年間愛用したマイカー GOLFとの別れのときも
やっぱりそうだった。

人間も機械も同じなんですね。


さてさて、数時間後Panex君と交替したのが、下の写真。

プランメカ社 DIMAX君です。
彼は、フィンランド出身、デジタルパノラマレントゲン撮影機。







ダイマックス君~、これからひとつ、よろしくお願いいたします。





2011年1月4日火曜日

年の初めのご報告

<佐藤歯科医院・駐車場整備工事が終了しました>

昨年夏より行われておりました、佐藤歯科医院駐車場整備工事と
それに伴う自宅建て替え工事が、昨年暮れに終了いたしました。

工事中は、近隣の皆様、患者の皆様、
そしてスタッフの仲間の皆さんには、
何かとご迷惑やご面倒をおかけし、申し訳ございませんでした。

お陰様で、工事は無事終了し、
さっそく新駐車場もご利用しただいております。

右下の写真は、駐車場工事前の写真です。



で、こちらが拡張された駐車場です。
白く見えるのは「雪」です。





さて、右下の写真は、自宅解体前の写真。
建物の南側にある庭から自宅を撮ったものです。





で、こちらが建て替え後の自宅であります。
二本の松の木は、まったく動かしていませんので、
その違いがよくわかります。





以上、ご覧いただきましたように、
佐藤歯科医院、佐藤家にとっても大きな変化の1年でした。



昨年夏には、「自宅を解体することでの罪悪感」と
その裏側にある「感謝の気持ち」を、
チョビッと、このブログでもお伝えしました。


その後、工事に関する流れや経過につきましては
ご報告もしないままで失礼しましたが、
私の心の中では
「何かを手放さなければ、新しい何かは得られない!」と、
終始そう叫びながら、過ごしてきたこの半年間でございました。

今、こうして新しい年を迎えて、
それを「ちょうどタイミングの良い切り替えの時」として捉え、
また、これからは祖父母や父母への感謝に加え、
この工事に携わって下さったすべての方への感謝も忘れずに
過ごしていきたいと思っております。

まずは、このたびの
駐車場整備工事・自宅建て替え工事の終了ご報告と
感謝の気持ちをこめての御礼を申し上げます。

ありがとうございました。


              ※




2011年1月2日日曜日

あけましておめでとうございます!



いよいよ新しい年が始まりましたね、2011年!
2010年の振り返りも充分にしきれていないまま
(例えば、「2010年に読んだ本、出会った人・再会した人」
 などのタイトルでブログアップするつもりでおりましたが)
早々と新年を迎えてしまいました~。
ま、「常に前向きで行く!」ということで、このまま振り返らず、
(もちろんその時々の感謝の気持ちは忘れずに)
このまま2011年、ピョンピョンまっしぐら~で
参りたいと存じます。
と、いうことで、まずは乾杯~!
いや、その前に・・・・

「あけましておめでとうございます。
 昨年は大変大変お世話になりました。
 本年もどうぞよろしくお願いいたします。」
では、乾杯~!
                ※