2011年4月29日金曜日

四十九日

一緒に住んでいた祖母がなくなって、
早13年も経ちますが、
四十九日を迎えたときの感情は
今でもはっきりと覚えています。

そう、あれはちょうどその日。
和尚さんが自宅に来て、般若心経を唱えて下さったときのこと。

般若心経の最後のほうに

羯諦   羯諦    波羅羯諦    波羅僧羯諦
ぎゃてい ぎゃてい はらぎゃてい  はらそうぎゃてい

という言葉が出てきます。

それまでは、
「ぎゃてい」 という言葉を聴くたびに
非日常的な発音で、まるで亡くなった方の叫びにも聴こえる・・・
そんな風に感じていました。

が、その時は、「諦める」という文字が
妙に気になり、和尚さんに訊ねました。

「今、般若心経を唱えていただき、
 ようやく祖母が亡くなったことを受け入れることができました。

 祖母はもう生きてはいないのだということを
 ようやく諦めることができたのです。

   「ぎゃてい」という言葉を聴き、
   「諦める」という文字を見た瞬間にです。

 私、間違ってますか?」 と・・・。

すると、和尚さんは、

「恐らく、おばあさんも諦めているでしょう。
 この世で生きるということを。

 また、もう自分はこの世では生きてはいないのだ 
 ということを悟っていることでしょう。

 おばあさんはこの世にはいないということを
 家族や周りの方々、それから誰よりも本人が
 明らかにすること、つまり明らめることで、
 諦め、成仏するのだと思います。」

私の問いかけを否定することなく、応じて下さいました。


そこではじめて、
祖母のお骨を納骨することに同意することができ、
同時に、
私自身の心の置き場所も見つかったような感覚になりました。

そして、
ここまでくるには四十九日という長い時間を要することなのだな、
ということに、うなずけました。


しかしながら、このたびの大震災。

あの日から49日。

49日も経っているというのに、
まだ行方のわからない方が11,324人も!

まだ、家族の行方がわからないご遺族の方々にしてみれば
どのような意味をもたせようともこの49日間は、
まったく意味のなさない時間。

26日の検死は、気仙沼でした。

9人の方の冷たく冷えきった体を拝見しましたが、
その方達でさえ、ご家族に会うまでもう少し時間がかかり
「諦める」までにも時間がかかるかもしれない・・・。


修証義の冒頭。

生を明らめ、   死を明らめるは、 仏家一大の因縁なり
しょうをあきらめ、しをあきらめるは、ぶっけいちだいのいんねんなり


昨日は、たくさんの被災地で、慰霊祭が行われました。

3.11の震災で犠牲になられた方々全員が、
天に召され、天国で幸せになりますように
ただただ、お祈りするばかりです。

      ※



 

2011年4月19日火曜日

4月の雪

今日は雨。
そして、夕方から雪にかわり、寒い一日でした。

今日の身元確認作業は、石巻飯野体育研修センター。
石巻市合併前の河北町。
旧北上川の川沿いにある町でした。

車で15分ほど行ったところに大川小学校があります。

大川小学校は、あの日、
授業が終わって、これからお家へ帰るという時間帯に地震が発生し、
皆で校内で避難しているところへ
2階建ての校舎まで津波が押し寄せてきた学校です。

108人の児童のうち、
74人が死亡、又は行方不明になってしまいました。

今もまだ、3人の児童の行方がわかっていません。


現場から県警本部に戻り、
今日一日、一緒に作業していただいた古和田先生に
駐車場まで送っていただき、
自分の車を「さあ運転しよう!」というところで、
雨が雪にかわりました。

夕方の暗さに加えて、雪雲に覆われた灰色の空。
風も強く、斜めに降る雪。
もう4月だというのに、堂々と降っている。

街並みが途絶え、田んぼの中を走る国道に景色が変わった途端に
急に涙が溢れてきてしまいました。

灰色の空。
斜めに降る雪。

この情景を目にした瞬間、あの日が思い出され、
と同時に、
その時、あの大川小学校や海沿いのいたるところに
津波が押し寄せ・・・。

そう思うと、ますます涙は止まらず
しばらくは泣きながらの運転でした。


今日は本当に寒い日だった。

       ※

2011年4月18日月曜日

生かされているということ

このたび、何人ものご遺体に接し、

生きるってなんだろう?
生きているってこういうこと?

今さらながら・・・・ですが、
そのような問いかけが何度も何度も
自分の中で、繰り返されていました。



初めての身元確認作業の翌日の診療。

自分の目の前にいる患者さんは、
「お口開けて下さ~い」と声をかければ
反応し、開けて下さる。

「このあたり感じますか?」とお聞きすれば
痛ければ痛そうに、
そうでなければ、痛くないと首を振って反応して下さる。

口を開けていると、唾液が出てくるので、
アシスタントがバキュームをする。

そして・・・
何よりも、頬が温かい!


あ~、これが生きているっていうこと?


私たち、生きているんだ!


生かされているんだ!


ごく当たり前の体の動きや反応なのに
そう思った瞬間、涙があふれてきて止まらず、
しばらく診療になりませんでした。



神様!

ありがとうございます。

亡くなられた方の分まで、精一杯生きていきます。


              ※

2011年4月17日日曜日

法医学教室の午後

「法医学教室の午後」という本がありました。
確か、大学を卒業した年か翌年、
ですから、昭和59年か60年ころです。

とても興味深く読んでいました。

このたび、法医学教室の先生方に、
大変大変お世話になりました。

この15日、被災地である石巻へご遺体の身元確認作業に
行ってまいりました。

その際、全国からお集まりいただいた法医学教室の先生方に
同行し、いろいろと教えていただき、
また、そのお姿に心打たれ、これからの励みとなりました。

奈良県立医科大法医学教室の川島先生、
大阪大学法医学教室の藤本先生、
そして、千葉大医学部法医学教室の槙野先生、

ありがとうございました。

今回教えていただいた事を活かしながら、
今後の検案作業に取り組み、
一刻でも早く、ご遺族様のもとへ
お渡しできるよう努力いたします。





ご遺体検案

あの日の地震、津波により
多くの方々が行方不明になってしまいました。

そして、身元不明のご遺体になって・・・・・。

そのご遺体検案のため
地震発生直後から、県下に10か所の検案場所が設置され、
日本歯科医師会、日本法医学会、東北大学、
そして、
宮城県歯科医師会の会員により、
毎日、ご遺体の検死が行われています。

すでに、これまで全国から約1000人ほどの歯科医師が
被災県に入り、協力して下さったということです。

行方不明でまだ見つからない方がたくさんいらっしゃり、
つらく、悲しい毎日を過ごされている方々のことを思うと、
いたたまれない・・・・。
少しでも、何かしていないと
いてもたってもいられない・・・・・。

そのような気持ちから、検死協力に申し込みました。

3月の時点で、
「水・木・土・日曜日に申し込む歯科医師は多いけれども、
 火・金曜日が比較的少ないです」と、
歯科医師会事務局担当の方の話でした。

自分が無理なく、申し込める火曜日、金曜日・・・・。

4月15日、19日、22日。

メンテナンスの患者さんのご予約が
すでに何ヶ月も前から入っていましたが、
妹、由佳里に協力してもらえれば行ける!

そして、申し込みました。

歯科医師会からの連絡では、
「3日間ともお願いします」とのことでした。

お断りする理由は、全くないので、
「こちらこそ、よろしくお願いいたします」

行方不明になっている方々が、
一日でも早くご家族のもとへ帰られますよう
協力させていただきます。

ただ、それだけ。

一日も早く、家族のもとへ・・・・。

ただただ、それだけです。


       ※

2011年4月8日金曜日

また停電

また来ました、あの日と同じ地震。
                                                              そして、停電。 
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                       しかも、今度は夜中。 

                                                                       電話もつながりません。
                                                                                 直後、暗闇にヘリと救急車のサイレンが鳴りひびきます。 
                                                  
その後に続く余震のせいか、
めずらしくこんな時間まで起きてしまっています。

                ※