2012年12月31日月曜日

2012年を振り返る 1



大変ご無沙汰しておりました。

10月のスイーツマラソンから、早2ヶ月半。
ブログを更新する間もなく、
あれよあれよと時間が流れ、
2012年も残すところ、あと数時間となってしまいました。

皆様、お元気でしたでしょうか?

この間、いろいろ出来事やイベントがあるたびに
「ブログにアップしたい~」と思うのですが、
パソコンと向き合う時間が十分取れなかったり、
他に優先すべきことが発生するなどで、
なかなか思い通りには、いきませんでした。

そして、今、ようやくPCを目の前に、
駆け足で、恒例の「振り返り」をしてみようかと思っています。


2012年12月10日月曜日

麗しの勘九郎殿

            

勘九郎が亡くなった。

平成24年12月5日。
57歳の若さで・・・・。

中村勘三郎襲名をしてから、もうだいぶ経つのに
彼はいつまでたっても私の心の中では勘九郎である。

なので、長男の勘九郎さんには、申し訳ないのだけれども、
ココでは勘九郎と呼ばせてもらうことにします。


さて、勘九郎の存在を知ったのは、
はるか昔になりますが、そうあれはまだ中学1年の頃。

当時、私は下宿をしていたのですが、同じ下宿屋さんに
白百合学園高校に通うお姉さんが隣の部屋に下宿しており、
私達二人は仲良しでした。

そのお姉さんが、勘九郎の大のファンで、
「勘九郎にファンレター出した」だの、
「そしたら、勘九郎から返事がきた」だのと
いつも、話題に勘九郎が登場していました。

でも、当時の私はどんなに話を聞かされても、
「フ~ン、そうなの」程度で終わり、
勘九郎に特に興味を示すことはなかったのを記憶しています。

が、相当長い年月が経ってから
大学を卒業し数年後、東邦歯科診療所で勤務医をしていた頃、
ミュージカルや芝居、絵画、などに興味をもつようになり、
たまたま勘九郎の歌舞伎を観て、
「勘九郎ってスゴイ!」
「彼はどこか、普通の役者さんとは違う!」

それから勘九郎の出演するお芝居を観に行くようになりました。





上の写真は、その当時のもの。
実に今から25年前。
もしかしたら、先代の中村勘三郎が亡くなったころかもしれません。

当時から、勘九郎は歌舞伎の世界だけでなく
芝居、テレビ、コマーシャルでも引っぱりだこでした、

彼の何がおもしろかったかと言うと、
その役になり切りながら、
多くの観客の視線、呼吸、その場の空気を読み
最後は、舞台と観客とを一体のものに作り上げるその絶妙な技、
彼にしか成し得ない特技ともいえるものを持ち合わせていると
私は思っていました。
恐らく多くのファンの方がそう思っていたに違いありません。

簡単に言うと、
アドリブで観客を必ず楽しませてくれたことでした。

その時の世間を騒がせている事件や話題を取り入れて、
即興でセリフを言って笑わせてくれるあたりが、独特でした。

「う~ン、やっぱり勘九郎って凄いわ~!」

観るたびに、パワフルな姿に引き込まれていったものです。

そんな勘九郎は、いくつになっても勘九郎。
勘三郎襲名しても、やはり私にとっては勘九郎でした。


彼には、あと30年、せめて20年は頑張っていて欲しかった・・・

先日、築地本願寺でお別れ会が執り行われたということですが、
ここに、勘九郎さんのご冥福をお祈りいたします。

勘九郎、天国でも皆を楽しませてね~。

♡   ♡   ♡