2011年7月31日日曜日

シーボルト記念館







今日は、昼食の時間にシーボルト記念館に行ってきました。

シーボルトはドイツ人ですが、オランダの軍医。
1823年、オランダの命令で日本の長崎に来ます。

到着後は、日本についての資料を集めたり、知識を深めながら、
国内の医者たちに医学を教えるるなど、
その滞在期間は約6年に及んでいます。

その間、日本人女性と結婚し、娘いねを儲けました。

司馬遼太郎作の小説「花神」は、
娘のいねや大村益次郎らが登場する物語で、
15年ほど前に読み、いねに非常に興味をもちましたが、
それからというもの、シーボルト記念館は
「長崎に行ったら訪ねてみたい!」と
思っていたところのひとつでした。

いねが、2歳のころシーボルトはオランダに帰ってしまいますが、
シーボルトの門弟石井宗謙や二宮敬作らに医学を学び、
日本最初の西洋医学の女性産科医となりました。

江戸から明治にかけての「日本最初の」・・・・と聞くと、
それだけで、なぜが胸がワクワクしてきます。

        ※

2011年7月30日土曜日

長崎原爆資料館







1945年8月9日、午前11時2分,
長崎に原子爆弾が投下されました。

今から66年前。

すさまじい熱線と爆風と放射線。
そして燃え続ける炎・・・。

7万4千人の尊い命が奪われ、
一瞬のうちに長崎の街に大きな被害をもたらしました。

投下された爆弾は、
長さが3、25メートル、直径が1,52メートル
重さが4,5トンもあり
回りの火薬でプルトニウムを内側に爆縮したものだったと
いうことです。

「プルトニウムの核分裂反応でできた放射性物質の 
 内部被曝、外部被曝」
「街が一瞬にして壊滅」など、
3、11東日本大震災と、どうしてもダブってしまいます。

決して、過去の出来事というだけで終わらせてはいけないし、
決して、風化させてはいけない。

長崎市内到着後、
私は、真っ先に長崎原爆資料館に向かいました。

                  ※

この週末は 長崎~、ナガサキ~

やって来ました長崎へ。
目的は、第32回日本歯内療法学会学術大会参加のため であります。

患者の皆様、またまたお休みをさせていただき申し訳ありません。
いつも、ご理解をいただきましてありがとうございます。

歯内療法とは、いわゆる「根の中の治療」のことをいいますが、
歯科治療の中でも、最も基本的で地道な治療であります。

今年のサブタイトルは
「もう一度見直そう、エンド(歯内治療)の重要性」。


さて、長崎空港で迎えてくれたのは、この看板。

不思議ですね。

歓迎の看板のほんの小さなスペースでも
自分が参加する学会名があるというだけで
うれしくなります。

今回は、
仙台→東京→羽田→長崎というルートでのフライトでした。

空港の出口をでた瞬間、蝉の大合唱が・・・・・。
たくさんの蝉たちも出迎えてくれました。

           ※

アルファとともに

新潟からの帰路は西堀通りからスタート。
柳と縦の信号が新潟らしさを象徴しています。



新潟中央インターチェンジで磐越道へ



学生のころ利用していた磐越西線の車窓からの風景と
変わらない青い空、緑の木々


青と緑のコラボレーションがどこまでも続きます
車ごとフィトンチッド浴びたような気分


前日は霧がかかっており、まったく見えなかった磐梯山。
この日は山裾がとてもきれいにくっきりと。


このトンネルが一番長かった~。


スワンちゃんトンネルの中へ


          道中活躍してくれたのが、アルファロメオ147君でした。


※

2011年7月28日木曜日

少林寺拳法部OB会 「宗心会」


大学時代の部活、少林寺拳法部のOB会の集まりがあり
新潟へ行ってきました。

OB会の正式名称は
日本歯科大学新潟生命歯学部
少林寺拳法部 「宗心会」。

少林寺拳法の創設者であり、開祖である「宗 道臣」先生の
志を受け継ぎ、その意向に沿って
我々は活動していくということで、
「宗 道臣」先生の名前をいただいて、
「宗心会」と名付けられました。

「宗心会」は、
会員相互の親睦を図るだけでなく、
少林寺拳法部の現役の育成をも目的としているので、
年に2回の総会、夏冬開催のうち、
夏は必ず母校・新潟で行なわれ
懇親会に現役を招き、交流を図ったり、
大会前の練習にOBが参加するなどの
スケジュールが組み込まれています。


話は、ず~っと遡りますが、
このOB会ができたのは、私達が学生だったころ。
確か大学3年か4年のときだったと思います。

そのころは、
「大学を卒業する→国家試験に合格する」という
大きな目標が頭の中に存在していましたが、
その目標を達成し、
しかも少林寺拳法部に6年間所属し、全うした者だけが
入会する会であるということで、
当時は、「宗心会」という名前を聞くと
「少林寺拳法の哲学をもった歯科医師の集団」
「大人」 「社会人」 というイメージでした。

宗心会に入会してからの約10年は、
年2回の集まりには、何か余程のことがなければ
参加していました。

しかしながら、いつごろからか次第に足が遠退き、
この10数年は、ほとんど参加することもなく
案内が届いても返事を出さず、ということもよくありました。

「いつまでも大学時代の部活の集まりにこだわっていても・・・・」
と思うこともあり、
心の中では、
「もっと歳をとっておばあさんになってから参加しようかな・・・・?」
な~んて考えていました。

そのような中、数年前ある大きな出来事が起こりました。

6年間、少林寺拳法部で泣き笑いをともにしてきた同級生が
病いで倒れたのです。
当時、意識はなく社会復帰は難しいだろうとの診断でした。

その時、私の頭の中を駆け巡ったこと・・・・。

   もし、自分が病いで体が自由に動けなくなったらどうだろう?

   部活は練習が厳しくてつらいときもあったけれど、
   あのころが一番のびのびと楽しく過ごせた時だったのかもしれない。

   自分は少林寺拳法が好きだったし
   少林寺拳法部の先輩、同級生、後輩も大好きだった。

   おばあさんになったら宗心会に出よう、なんて思っていたけれど、
   その前に自分の体が自由にならなくなったら、
   みんなに会うこともできなくなってしまうだろう・・・。

   ならば、今だ!

   今、皆に会える機会があれば、
   その機会を無駄にせず会いに行こう!

そう思いはじめ、懇親会だけにポツリポツリと参加し始めたのが
2年前。


そして、今回。
60回めを迎える宗心会総会。

懇親会には、一昨年あたりから顔を出すようにしていましたが、
総会そのものに、参加するのは実に15年ぶり。

驚きました!
総会次第は満載で、、まことに充実していたものでした。

宗心会会長・平井一也先生(東京町田市開業)の
挨拶から始まり、

出欠の確認後、ブロック活動報告。
活動活発化するために、北海道、東北、関東などと
地区ごとにブロック化されており、各地区からの報告です。

会計担当から会計報告に続き、
監督からは現役の現状報告、
学内医局員の影山教授(前ブログ登場です)からは
学内現状報告など
久しぶりの私にはとても新鮮で、
担当の先生方には頭が下がる思いでいっぱいでした。

続いて、1年後に控える40周年記念祝賀会準備の
進捗状況説明がなされ、
(上の写真は、平井先生が説明なさっているところです)

協議では、40周年記念に関する企画をさらに煮詰め決議し、
常日頃、打ち合わせする機会がない状況の中
よくぞ、ここまで詰めて下さったなと
感謝!感謝!でありました。


総会だけに限らず、会議やミーティングを開催する際は、
その準備や段取りは重要です。

私めもこの10数年、歯科関係の会議や総会の
準備、資料作成、などに関わったり、
時には、司会進行や議長なども仰せつかるなど、
社会勉強させていただく場を与えていただくことで
裏方の大変さ、段取りの重要性は
痛感しているところでありました。


事務局とトップが遠隔地というハンディを
克服しながらの総会開催。

来年の冬は、九州での開催、
1年後は新潟で部創立40周年祝賀行事開催が
予定されていますが、
私はこれからは、できる限り
宗心会に参加していくつもりでいます。


なんで?ともし誰かにきかれたら、

ウ~ン・・・・
一言でいうならば、
少林寺拳法部を通しての、この仲間が好きだから!

ただ、それだけです。

合掌

2011年7月24日日曜日

新潟へ

久しぶりのアップです~。
皆様お元気でしたでしょうか???

私は、今、新潟に来ています。
しかも・・・車でですよ!
車で!

ところで、
上の写真は、実は2~3年前のものですが、
母校、日本歯科大学新潟生命歯学部解剖学教室の影山教授を
訪ねていった時撮っていただいたものです。

写真の右端にいるのが、影山教授。
真ん中にド~ンといるのが、マンモス君の標本。

影山教授は仙台出身で、
私の少林寺拳法部時代の大の先輩。
新潟再生歯学研究会の講師でもあります。

この22日、影山教授は東北大歯学部の学生さんへの
講義で、仙台にいらしていました。

23日、少林寺拳法部の集まりが新潟であり、
車で新潟へ行こうとしていた私は、
(もちろん、高速料金無料の影響です!)
影山先生が新潟へお戻りになる車の後をくっついて
無事に新潟へ来れた!というワケです。

仙台出発前には、影山先生から
眠気覚ましのガムと 伊右衛門「京番茶入り麦茶」
そして、ドライブに活性持続「メガシャキ」の差し入れがありました。
感謝です~。

で、影山先生に、
「速くてもノロノロでも、ワタシ後ろからくっついて行きますから、
影山さんのペースで行って下さいね~」と、
言ったのはいいけれど、
高速道路にのった瞬間思い出しました。

「あ~、そういえば影山先生ドイツに留学していたことあったんだ!
 あの加速の仕方はアウトバーン用だ~」

(私めも、いちおうドイツは2回ほど。
 インプラントメーカーの工場見学などでアウトバーンの  
 あの凄さは経験しておりまして・・・・)

途中休憩でお聞きしましたところ、
「ドイツにいた頃は、アウトバーンは時速270㎞、
メルセデスでビュッと普通に走ってたサ~」とのこと。

うっひゃ~、やっぱり!
あのスピード、ナットクでした~。


昨日、仙台を出るときは、まだ寒さ、涼しさが残っていましたが、
阿賀野川サービスエリアからは暑かった~。


ところで・・・

毎度登場させていただいております私めの顔写真、
実はこの写真からとったものであります。
まさかすぐ隣にマンモス君がいるとはね~。


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