一緒に住んでいた祖母がなくなって、
早13年も経ちますが、
四十九日を迎えたときの感情は
今でもはっきりと覚えています。
そう、あれはちょうどその日。
和尚さんが自宅に来て、般若心経を唱えて下さったときのこと。
般若心経の最後のほうに
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦
ぎゃてい ぎゃてい はらぎゃてい はらそうぎゃてい
という言葉が出てきます。
それまでは、
「ぎゃてい」 という言葉を聴くたびに
非日常的な発音で、まるで亡くなった方の叫びにも聴こえる・・・
そんな風に感じていました。
が、その時は、「諦める」という文字が
妙に気になり、和尚さんに訊ねました。
「今、般若心経を唱えていただき、
ようやく祖母が亡くなったことを受け入れることができました。
祖母はもう生きてはいないのだということを
ようやく諦めることができたのです。
「ぎゃてい」という言葉を聴き、
「諦める」という文字を見た瞬間にです。
私、間違ってますか?」 と・・・。
すると、和尚さんは、
「恐らく、おばあさんも諦めているでしょう。
この世で生きるということを。
また、もう自分はこの世では生きてはいないのだ
ということを悟っていることでしょう。
おばあさんはこの世にはいないということを
家族や周りの方々、それから誰よりも本人が
明らかにすること、つまり明らめることで、
諦め、成仏するのだと思います。」
私の問いかけを否定することなく、応じて下さいました。
そこではじめて、
祖母のお骨を納骨することに同意することができ、
同時に、
私自身の心の置き場所も見つかったような感覚になりました。
そして、
ここまでくるには四十九日という長い時間を要することなのだな、
ということに、うなずけました。
しかしながら、このたびの大震災。
あの日から49日。
49日も経っているというのに、
まだ行方のわからない方が11,324人も!
まだ、家族の行方がわからないご遺族の方々にしてみれば
どのような意味をもたせようともこの49日間は、
まったく意味のなさない時間。
26日の検死は、気仙沼でした。
9人の方の冷たく冷えきった体を拝見しましたが、
その方達でさえ、ご家族に会うまでもう少し時間がかかり
「諦める」までにも時間がかかるかもしれない・・・。
修証義の冒頭。
生を明らめ、 死を明らめるは、 仏家一大の因縁なり
しょうをあきらめ、しをあきらめるは、ぶっけいちだいのいんねんなり
昨日は、たくさんの被災地で、慰霊祭が行われました。
3.11の震災で犠牲になられた方々全員が、
天に召され、天国で幸せになりますように
ただただ、お祈りするばかりです。
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