2011年12月31日土曜日

2011年を振り返える 2 ~ご縁のあった方々~

あの日、3月11日をきっかけに、私達の行動パターンは変わりました。

私の場合、その中のひとつが、身元確認作業への参加でした。

「もし自分の身内が行方不明だったら・・・・
いてもたってもいられず、
収容所1か所1か所、ご遺体一人一人
みてまわるだろう・・・」

そう思ったときには、
宮城県歯科医師会の身元確認作業のボランティア参加の呼びかけに
申し込んでいました。


震災前の自分だったら・・・・

「亡くなった方の口腔内を拝見するなどとは、とても私にはできない。」
そう思っていました。

実際、何年か前までは、父が警察歯科医ということで
時折、大和警察署から依頼があり、
収容されたご遺体の口腔内の確認に出向いて行くことがありましたが、
そのたびに、「私にはできない・・・」
そう思っていました。

しかし・・・・

このたびの、この状況。

「私にはできない・・・」
そんな言葉は、まるで忘れてしまったかのように
検案作業に申し込み、参加しました。

行先は、担当の当日朝、
集合場所の宮城県警本部で
宮城県歯科医師会の大規模災害対策本部身元確認班
班長の江澤敏光先生、副班長の柏崎潤先生から
言い渡されました。

石巻市の旧青果市場、
石巻市、元河北町の飯野川体育館、
東松島市の小野地区、
気仙沼市のすぱーく、
利府町のグランディ21
名取市の警察学校、
角田市の元角田女子高等学校
南三陸町のベイサイドアリーナ
そして、
石巻ふれあい広場。

そこで出会ったご遺体は、帰らぬ人となってすでに何日も経っていましたが、
少なくてもあの日までは、元気にふつうに生活をしていた方々・・・

「まさか、このような形であなたのお口の中を
拝見させていただくとは・・・
これも何かのご縁、
どうか、この検案で、少しでも癒され、天国に召されますよう
お祈りしています・・・」

そのようなことを、心の中でおひとりおひとりに
話しかけながらすすめていった歯型確認作業。

このように、
歯型やDNA鑑定、身体的な特徴などに加えて、所持品などで、
身元が確認された方は、岩手、宮城、福島の3県で 2,383人と
といわれています。

しかしながら、
全国でまだ 3,451人という多くの方々の行方がわかっていません。

一人でも多く見つかりますよう、ただただ祈る毎日です。