22日(火)から、通常通りの診療、再開いたしました。
実に、11日ぶりです。
まだ、ライフラインが復活していない地区の先生方や、
診療所が被災にあわれた先生のご苦労に比べたら、
自分はまだまだ苦労など少ないほう。
ここは、診療に全力投球して参ります!
それこそ、「今の自分にできること」であります。
通常どおりの診療, とは申しましても、
「節電」 「節水」「節ガソリン」です。
節エネルギーの折、
節電しながらの診療をいたしますので、
患者の皆様、 ご理解とご協力をお願いいたします。
受付には「節電診療中」のポスターを立てかけました。
南に面している待合室は、
日中は照明がなくても比較的明るいので、
夕方まで照明はOFFとさせていただきます。
駐車場外灯も、電源を切らせていただきました。
車止めなど、足元に充分ご注意下さい。
診療室、待合室、カウンセリングルーム、患者さん用化粧室への
音響・BGMは控え、診療室、待合室でのラジオ放送といたします。
少ないガソリンを有効的に!ということで、
車通勤のスタッフのシフトも調整しております。
以上、大きく目立った節エネルギーの箇所をご紹介しましたが、
まだ他にも、細かな節約を心がけております。
患者の皆様には、ご不便をおかけし、
また何かと不行届きの点があるかと思いますが、
ご理解をいただき、ご協力をお願いしたいと存じます。
何卒、 よろしくお願いいたします。
※
2011年3月22日火曜日
2011年3月21日月曜日
今の自分にできること
今の自分にできること。
とても限られているけれど、
友人の地域が、まだ電気、水、ガスがストップしていたら
「お風呂入りにおいで~」
「泊まりにきてもいいんだよ」 と・・・・。
そして、
「お風呂に入れてシアワセ~」
「お水が出ることが、こんなに有難いこととは!」
「思い切って電話したけど、泊めてもらえてよかった」
当たり前のことなのだけれども、
ほんの少しのことで幸せ、喜びを感じ、
恵みへの感謝の気持ちを、友人たちと共に感じています。
今の自分にできること。
友人たちや先輩、後輩からの問い合わせに応えるべく、
問い合わせの方へ安否確認の電話やメールをして、
わかれば「無事であることの」をご返事連絡。
その繰り返し作業も、がんばります。
大学の同窓会では、宮城県内約140名の先生方のうち、
ほとんどの会員が無事であることが、
確認できたのがようやく昨日。
これは、皆の協力なしではできまません。
しかしながら、あと二人の先生の安否確認ができていません。
そして、ご家族の行方がわからない先生もいます。
今の自分にできること。
節電、節水、節ガソリン、節食糧。
貴重な資源は必要な分にとどめます。
今の自分にできること。
どんな時も、笑顔を忘れずに!
そのような中、
勉強仲間の先生と大学時代の先輩から
数日前、たまたま同じ日に電話をいただきました。
勉強仲間の永井茂之先生(東京都、五反田開業)は、
「せっかく命拾いしたんやから、楽しくやろうよ楽しく!」
大阪出身、大阪なまりの励ましの言葉が、
やけに新鮮に聴こえます。
そして、日本歯科医師会で募集している
「ご遺体検死確認のボランティア、申し込んだよ!
この俺に何かできることないかなと思ってさ」とも。
涙が出てきました。
ありがとう!
ともにこの被害を分かち合ってくれる仲間がここにもいる!と
そう思った瞬間。
涙、涙でした。
その直後、先日、札幌の平木君に一緒に会いに行った先輩
茂木紳一先生(北海道、八雲町開業)からも電話がありました。
「おお~ッ!無事か~~! 無事でいがったなア~。」
こちらは、北海道、函館なまりである。
「俺よ~、54歳、ひとつここで何かしなきゃならんと思ってよォ、
ご遺体の検死確認、申し込んだぜ!」
「今さら、被爆したって、どうってことないさ、と思ってな。
本当に行けるかどうかわかんないけど、
言われたら、どこへでも行って協力するさ」
あ~、茂木さん、ありがとう!
先輩の、その気高い「志」そのものが私達の励みになるのです!
本当にありがとう!
そう思うと、また、涙、涙、涙・・・。
そう・・・・
誰もが、「今の自分にできること」 として
考え、行動し 協力し合って、危機を乗り越える!
お友達や勉強仲間、遠隔地にいる患者さんから
たくさんのメールや電話をいただきました。
本当にありがとうございました。
いただいたメッセージひとつひとつが、
「大きな励み」となり、「力」となりました。
まだまだ、この状況は続くでしょう。
でも、一番辛く大変なのは
被害を受けた方々や、 大切な命を奪われた方とそのご家族。
そして、今も被災地でがんばっている方々。
私達も、がんばっていきます。
ともに、この試練を乗り越えて行きましょう!
※
とても限られているけれど、
友人の地域が、まだ電気、水、ガスがストップしていたら
「お風呂入りにおいで~」
「泊まりにきてもいいんだよ」 と・・・・。
そして、
「お風呂に入れてシアワセ~」
「お水が出ることが、こんなに有難いこととは!」
「思い切って電話したけど、泊めてもらえてよかった」
当たり前のことなのだけれども、
ほんの少しのことで幸せ、喜びを感じ、
恵みへの感謝の気持ちを、友人たちと共に感じています。
今の自分にできること。
友人たちや先輩、後輩からの問い合わせに応えるべく、
問い合わせの方へ安否確認の電話やメールをして、
わかれば「無事であることの」をご返事連絡。
その繰り返し作業も、がんばります。
大学の同窓会では、宮城県内約140名の先生方のうち、
ほとんどの会員が無事であることが、
確認できたのがようやく昨日。
これは、皆の協力なしではできまません。
しかしながら、あと二人の先生の安否確認ができていません。
そして、ご家族の行方がわからない先生もいます。
今の自分にできること。
節電、節水、節ガソリン、節食糧。
貴重な資源は必要な分にとどめます。
今の自分にできること。
どんな時も、笑顔を忘れずに!
そのような中、
勉強仲間の先生と大学時代の先輩から
数日前、たまたま同じ日に電話をいただきました。
勉強仲間の永井茂之先生(東京都、五反田開業)は、
「せっかく命拾いしたんやから、楽しくやろうよ楽しく!」
大阪出身、大阪なまりの励ましの言葉が、
やけに新鮮に聴こえます。
そして、日本歯科医師会で募集している
「ご遺体検死確認のボランティア、申し込んだよ!
この俺に何かできることないかなと思ってさ」とも。
涙が出てきました。
ありがとう!
ともにこの被害を分かち合ってくれる仲間がここにもいる!と
そう思った瞬間。
涙、涙でした。
その直後、先日、札幌の平木君に一緒に会いに行った先輩
茂木紳一先生(北海道、八雲町開業)からも電話がありました。
「おお~ッ!無事か~~! 無事でいがったなア~。」
こちらは、北海道、函館なまりである。
「俺よ~、54歳、ひとつここで何かしなきゃならんと思ってよォ、
ご遺体の検死確認、申し込んだぜ!」
「今さら、被爆したって、どうってことないさ、と思ってな。
本当に行けるかどうかわかんないけど、
言われたら、どこへでも行って協力するさ」
あ~、茂木さん、ありがとう!
先輩の、その気高い「志」そのものが私達の励みになるのです!
本当にありがとう!
そう思うと、また、涙、涙、涙・・・。
そう・・・・
誰もが、「今の自分にできること」 として
考え、行動し 協力し合って、危機を乗り越える!
お友達や勉強仲間、遠隔地にいる患者さんから
たくさんのメールや電話をいただきました。
本当にありがとうございました。
いただいたメッセージひとつひとつが、
「大きな励み」となり、「力」となりました。
まだまだ、この状況は続くでしょう。
でも、一番辛く大変なのは
被害を受けた方々や、 大切な命を奪われた方とそのご家族。
そして、今も被災地でがんばっている方々。
私達も、がんばっていきます。
ともに、この試練を乗り越えて行きましょう!
※
親戚無事
電話やメールなど通信関係が復旧されてからは、
お互いの安否確認や、行方がわからなくなった方の
情報収集依頼のメール発信などで、
ず~っと携帯電話とPCとはお友達。
実は一昨日まで、福島県在住の親戚2件と連絡がとれない状況でした。
2件とも、福島県双葉郡富岡町の夜ノ森(よのもり)。
まさに、あの原発10㎞圏内です。
こちらの電話が開通したのが16日。
それから、親戚の家に電話をしても相手先のエリアは、
「ネットワーク故障のため・・・」のマシーンしか応えてくれない・・・・。
でも、きっと無事でいるはず!
そして、どこか安全なところに避難してくれているだろう。
そう信じて何度も何度も電話する。
どこにいるの?
避難所にいるの?
従弟の一人は歯科医院を、一人は薬局を開業しています。
連絡が全くとれないとなると、あらゆる手段を考える。
あ~、そういえば、歯科医師会でお世話になっているあの先生、
確か、従弟の大学時代の同級生だったはず!
何度めかの電話でようやくその先生と話ができ、そこで得た情報は、
「自分も気になっていましたが、
どうも他の同級生の話によると、木村君は無事のようです。
でもどこにいるかわからない。」と・・・。
そのような情報を手がかりに、そこからは早く展開し、
その後、全員皆無事県外に避難していたことがわかりました。
無事とわかっていても、どこにいるのかわからないその不安。
津波で行方不明になった家族を思う気持ちは
このような私達の何十倍もの不安かと思うと、
一刻も早く多くの方の救出を願います。
どうか、生きていてほしい・・・・
昨日、石巻での80歳女性とそのお孫ちゃん16歳少年の奇跡的な救出が、
私達にたくさんの希望をもたらしてくれました。
※
お互いの安否確認や、行方がわからなくなった方の
情報収集依頼のメール発信などで、
ず~っと携帯電話とPCとはお友達。
実は一昨日まで、福島県在住の親戚2件と連絡がとれない状況でした。
2件とも、福島県双葉郡富岡町の夜ノ森(よのもり)。
まさに、あの原発10㎞圏内です。
こちらの電話が開通したのが16日。
それから、親戚の家に電話をしても相手先のエリアは、
「ネットワーク故障のため・・・」のマシーンしか応えてくれない・・・・。
でも、きっと無事でいるはず!
そして、どこか安全なところに避難してくれているだろう。
そう信じて何度も何度も電話する。
どこにいるの?
避難所にいるの?
従弟の一人は歯科医院を、一人は薬局を開業しています。
連絡が全くとれないとなると、あらゆる手段を考える。
あ~、そういえば、歯科医師会でお世話になっているあの先生、
確か、従弟の大学時代の同級生だったはず!
何度めかの電話でようやくその先生と話ができ、そこで得た情報は、
「自分も気になっていましたが、
どうも他の同級生の話によると、木村君は無事のようです。
でもどこにいるかわからない。」と・・・。
そのような情報を手がかりに、そこからは早く展開し、
その後、全員皆無事県外に避難していたことがわかりました。
無事とわかっていても、どこにいるのかわからないその不安。
津波で行方不明になった家族を思う気持ちは
このような私達の何十倍もの不安かと思うと、
一刻も早く多くの方の救出を願います。
どうか、生きていてほしい・・・・
昨日、石巻での80歳女性とそのお孫ちゃん16歳少年の奇跡的な救出が、
私達にたくさんの希望をもたらしてくれました。
※
2011年3月20日日曜日
この1週間
地震発生から、1週間が経ちました。
正確には10日。
この10日間、何をしていたかといいますと・・・・・
直後3日間は、
妹が食糧を調達しに動いてくれたので、
私は必要な雑貨、電池、カイロ、車からのバッテリー充電器などを
求めて彷徨い、ホームセンターで並ぶこと2時間。
そして、自宅の壊れた食器や、
本棚から押し出されたかのように散らばっている本、本、本・・・
その片付けで明け暮れました。
電気がストップしていたので、明るい時間内での行動となります。
朝6時に起きて、暗くなるギリギリの夕方6時まで。
この12時間が行動できる貴重な時間帯です。
不思議ですね。
いつもと変わらず、太陽は 私達に光と暖かさを注いでくれているのに、
その当たり前のことが、こんなにも有難いことだったなんて!
14日(月)夜遅くに電気が通じたので、
翌日から診療室玄関の鍵をあけました。
診療室の中は、
本棚から崩れおちた本の山々や
天井備え付けのエアコンの蓋が開き、
フィルターが床に落とされていたり、
通電後の火災防止のため、
冷蔵庫や器械類のコンセントが無造作に抜かれたままだったり
まだまだきちんと片付けなければならないものが沢山ありましたが、
急患の患者さんを受付けるということで、開けました。
多かったのは、前歯のトラブルでした。
前歯の仮歯がはずれてしまった。
前歯の詰め物がはずれてしまった。
子供さんの卒業式が行われるので、予定通り仮の歯を入れたい。
入れ歯が割れてしまった。
しばらく県外、国外に行くので、仮の歯がとれないようにしたい。
災害時でも関係なく、お口の中のトラブルは起きます。
ガソリン入手が困難な状況の中、
普段なら車でいらっしゃるところを、雪振る中歩いてお見えになったり、
「ガソリン何とかして行きます」と遠くから車でいらしていただいたり、
患者の皆様には、頭の下がる思いがいたします。
そのような中
大活躍してくれたのは、歩いて通勤できるスタッフ3名でした。
熊澤由雅里さんは、
地震発生の翌朝、
「診療途中のままだったので、器具を片付けにきました~」と
元気よく片付けにきてくれました。
ご主人には、車からの充電器などで大変お世話になりました。
他の二人はこの春採用したばかりの新人であります。
菅原日登美さんは、
過去に他の歯科医院で4年間歯科アシスタントをしていた経験もあり、
状況を把握してくれるという、すでに心強いスタッフの一人になっています。
地震直後から、ご主人の実家に身を寄せて、
車通勤の距離になってしまいましたが、ご主人の協力もあり
出勤してくれました。
そしてもう一人、残間美穂さんは、
この3月に高校卒業したばかりのピチピチフレッシュウーマン。
昨年10月から、夕方のみアルバイトでお手伝いして下さっており、
また、子供のころから佐藤歯科医院の患者さんでもあったので、
先輩スタッフに可愛がられ、その笑顔に私達も癒されます。
まさか、このような形でスタッフを紹介することになるとは
思ってもおりませんでしたが、以上の3人と、妹、由佳里に支えられ、
何とか、診療所を開けることができました。
いつ地震がおきて、すぐに逃げてもいいように厚めに着込み、
普段のCDはラジオに切り替え、
節電の折、必要最小限のところでスイッチONにし・・・・等々
いつもとは違った中での診療となりました。
今、このような状況の中、私達にできること・・・・・。
そう思ったとき、
予約の患者さんが、たとえ来院できない状態でも、
診療所を開けること 。
まずは、それでした。
※
正確には10日。
この10日間、何をしていたかといいますと・・・・・
直後3日間は、
妹が食糧を調達しに動いてくれたので、
私は必要な雑貨、電池、カイロ、車からのバッテリー充電器などを
求めて彷徨い、ホームセンターで並ぶこと2時間。
そして、自宅の壊れた食器や、
本棚から押し出されたかのように散らばっている本、本、本・・・
その片付けで明け暮れました。
電気がストップしていたので、明るい時間内での行動となります。
朝6時に起きて、暗くなるギリギリの夕方6時まで。
この12時間が行動できる貴重な時間帯です。
不思議ですね。
いつもと変わらず、太陽は 私達に光と暖かさを注いでくれているのに、
その当たり前のことが、こんなにも有難いことだったなんて!
14日(月)夜遅くに電気が通じたので、
翌日から診療室玄関の鍵をあけました。
診療室の中は、
本棚から崩れおちた本の山々や
天井備え付けのエアコンの蓋が開き、
フィルターが床に落とされていたり、
通電後の火災防止のため、
冷蔵庫や器械類のコンセントが無造作に抜かれたままだったり
まだまだきちんと片付けなければならないものが沢山ありましたが、
急患の患者さんを受付けるということで、開けました。
多かったのは、前歯のトラブルでした。
前歯の仮歯がはずれてしまった。
前歯の詰め物がはずれてしまった。
子供さんの卒業式が行われるので、予定通り仮の歯を入れたい。
入れ歯が割れてしまった。
しばらく県外、国外に行くので、仮の歯がとれないようにしたい。
災害時でも関係なく、お口の中のトラブルは起きます。
ガソリン入手が困難な状況の中、
普段なら車でいらっしゃるところを、雪振る中歩いてお見えになったり、
「ガソリン何とかして行きます」と遠くから車でいらしていただいたり、
患者の皆様には、頭の下がる思いがいたします。
そのような中
大活躍してくれたのは、歩いて通勤できるスタッフ3名でした。
熊澤由雅里さんは、
地震発生の翌朝、
「診療途中のままだったので、器具を片付けにきました~」と
元気よく片付けにきてくれました。
ご主人には、車からの充電器などで大変お世話になりました。
他の二人はこの春採用したばかりの新人であります。
菅原日登美さんは、
過去に他の歯科医院で4年間歯科アシスタントをしていた経験もあり、
状況を把握してくれるという、すでに心強いスタッフの一人になっています。
地震直後から、ご主人の実家に身を寄せて、
車通勤の距離になってしまいましたが、ご主人の協力もあり
出勤してくれました。
そしてもう一人、残間美穂さんは、
この3月に高校卒業したばかりのピチピチフレッシュウーマン。
昨年10月から、夕方のみアルバイトでお手伝いして下さっており、
また、子供のころから佐藤歯科医院の患者さんでもあったので、
先輩スタッフに可愛がられ、その笑顔に私達も癒されます。
まさか、このような形でスタッフを紹介することになるとは
思ってもおりませんでしたが、以上の3人と、妹、由佳里に支えられ、
何とか、診療所を開けることができました。
いつ地震がおきて、すぐに逃げてもいいように厚めに着込み、
普段のCDはラジオに切り替え、
節電の折、必要最小限のところでスイッチONにし・・・・等々
いつもとは違った中での診療となりました。
今、このような状況の中、私達にできること・・・・・。
そう思ったとき、
予約の患者さんが、たとえ来院できない状態でも、
診療所を開けること 。
まずは、それでした。
※
2011年3月18日金曜日
日が経つにつれて
日が経つに連れて、いろいろな情報が入ってきて
知らなかったことがわかったり、明らかになったりしています。
地震発生時の様子
津波に追われて、逃げてきた方の話
水がひいて、何日めかにようやく自分の家に戻ったときの
変わり果てた町の様子
命は助かったけど、診療所ごと津波にさらわれてしまった
同業の先生の話
検死確認に行って下さった先生からの話・・・・・と、
まだまだ、まだまだ続きます。
つらいのは悲しい知らせ。
とにかく、祈るのは
行方不明になった方々が無事であることです。
※
知らなかったことがわかったり、明らかになったりしています。
地震発生時の様子
津波に追われて、逃げてきた方の話
水がひいて、何日めかにようやく自分の家に戻ったときの
変わり果てた町の様子
命は助かったけど、診療所ごと津波にさらわれてしまった
同業の先生の話
検死確認に行って下さった先生からの話・・・・・と、
まだまだ、まだまだ続きます。
つらいのは悲しい知らせ。
とにかく、祈るのは
行方不明になった方々が無事であることです。
※
2011年3月16日水曜日
どうかご無事で
ライフラインが復旧されず、電気、水、ガスで困っている方々。
復旧にはまだ時間がかかるかもしれないけれど、
がんばって乗り切ろう!
私達には家があります。
家族がいます。
そして、何よりも己の命があります。
「これで、この世の終わりか!」とも覚悟させられ、
あの荒れ狂う巨大な地揺れのなすままになった私達。
その中で、
たまたま家の中にいなかった
たまたま本棚や箪笥のそばにいなかった、
たまたまエアコンの下にいなかった
そんな少しのタイミングで、怪我もなく命拾いした私達。
今、こうして生きているということが、どれだけ感謝すべきことか!
一方、町が大津波の被害にあって、行方不明になった知人や友人、
津波にさらわれてしまったかもしれないお世話になった方。
どうか、どうか無事でいて下さい。
どうかご無事で・・・・・。
ただ、ただ祈るばかりの毎日。
※
復旧にはまだ時間がかかるかもしれないけれど、
がんばって乗り切ろう!
私達には家があります。
家族がいます。
そして、何よりも己の命があります。
「これで、この世の終わりか!」とも覚悟させられ、
あの荒れ狂う巨大な地揺れのなすままになった私達。
その中で、
たまたま家の中にいなかった
たまたま本棚や箪笥のそばにいなかった、
たまたまエアコンの下にいなかった
そんな少しのタイミングで、怪我もなく命拾いした私達。
今、こうして生きているということが、どれだけ感謝すべきことか!
一方、町が大津波の被害にあって、行方不明になった知人や友人、
津波にさらわれてしまったかもしれないお世話になった方。
どうか、どうか無事でいて下さい。
どうかご無事で・・・・・。
ただ、ただ祈るばかりの毎日。
※
2011年3月15日火曜日
患者の皆様へ ~診療についてのご連絡~
このたびの地震災害につきましては、
皆様には、大変ご心配をおかけいたしました。
まず、私達、佐藤歯科医院スタッフ全員8名無事です。
そして、当時診療中だった患者さん、
待合室でお待ちの患者さんや付き添いの家族の方など
合わせて9名の方々も全員無事でございました。
また、自宅にいた父・母も幸い無事でした。
電気は、その瞬間から昨日14日(月)の夜までストップしており、
その間、携帯・PCは使えず
皆様へのご連絡が大変遅くなってしまいました。
近隣の市町村はまだライフラインが
復旧していないところも多く、
スタッフが出勤できる状況ではない、
患者の皆様も通院できる状況にもなっていない
さらに、先日と同じレベルの地震が発生する確率が高いなども
考慮しまして
通常の診療開始は3月22日(火)からと
いたしましたのでご連絡申し上げます。
なお、15日(火)から19日(土)までの期間中、
午前9時~12時は、急患の方は受け付けております。
その時間帯にご予約変更等のご連絡をさせていただくことも
あるかもしれませんのでよろしくお願いいたします。
患者の皆様には、大変ご迷惑をおかけいたしますが、
ご理解とご協力をお願い申し上げます。
※
皆様には、大変ご心配をおかけいたしました。
まず、私達、佐藤歯科医院スタッフ全員8名無事です。
そして、当時診療中だった患者さん、
待合室でお待ちの患者さんや付き添いの家族の方など
合わせて9名の方々も全員無事でございました。
また、自宅にいた父・母も幸い無事でした。
電気は、その瞬間から昨日14日(月)の夜までストップしており、
その間、携帯・PCは使えず
皆様へのご連絡が大変遅くなってしまいました。
近隣の市町村はまだライフラインが
復旧していないところも多く、
スタッフが出勤できる状況ではない、
患者の皆様も通院できる状況にもなっていない
さらに、先日と同じレベルの地震が発生する確率が高いなども
考慮しまして
通常の診療開始は3月22日(火)からと
いたしましたのでご連絡申し上げます。
なお、15日(火)から19日(土)までの期間中、
午前9時~12時は、急患の方は受け付けております。
その時間帯にご予約変更等のご連絡をさせていただくことも
あるかもしれませんのでよろしくお願いいたします。
患者の皆様には、大変ご迷惑をおかけいたしますが、
ご理解とご協力をお願い申し上げます。
※
2011年3月6日日曜日
札幌~ サッポロ~ さっぽろ~
行ってきました北の国。
土曜午后4時、
妹と矯正専門医の岡本先生がまだ診療している中、
「お先にごめん!では、行ってきまする。」とスタッフに別れを告げ、
向かいました札幌へ!
目的は、大学時代の同級生である平木君に会うためです。
平木君は、ただのクラスメートということだけでなく、
少林寺拳法部で、汗や涙、笑い励ましながらともに6年間を
過ごしてきた大切な仲間の一人です。
その平木君が数年前、病で倒れ、今はリハビリ中心の生活を送っています。
一昨年、少林寺拳法部時代の仲間と平木君に会いに行きました。
今回はその2回目であります。
ここのところ、立て込む行事が続いていましたが、
「仲間とともに平木君にまた会える!」ということが
とってもとっても楽しみで、またそれを励みに
今日までがんばってこれた、そんな気がします。
仙台空港でまず、拳法部時代ず~っとパートナーとして組んでくれた
鈴木直子さん(仙台市青葉区開業)と合流し、千歳空港へフライト。
ちなみに彼女は、卒業後も少林寺拳法を続けていて今や5段!
しかも、全国大会で日本一!いや世界一にもなったはず。
まさに彼女は私達同期の花形であり、誇りであります。
札幌で合流したのが、
矢口敦久君(北海道旭川市開業)と 茂木紳一先輩(北海道八雲町開業)。
矢口君はいつ会っても「永遠の少年」のようで、
また、茂木さんはドスのきいた声と独特の口調で
いつも私たちを笑わせてくれます。
さて、以下今日一日の写真です。
朝食後、チェックアウトし、平木君との待ち合わせまでの
ワクワクのひととき!
一昨年会ったときよりも、かなり元気になっていた平木君。
奥様が「皆で写真を撮りましょう」と言って下さったとき、
「私達自身のカメラでも写真とってもいいですか」の問いに
「いいですよ~」とおっしゃって下さり、皆でパシャッ!
「平木君も今日この日をとっても楽しみにしていた」とお聞きし、
そして、「また来て下さいね」と奥様からも言っていただき、
「あ~、来てよかった~。」と実感。
「平木君、また来るね!ありがとう。」
平木君と別れ、札幌駅まで歩いて帰る途中。
私たちのずっと後ろに見えるのが、旧北海道庁。
市内には、雪がまだまだドッサリありました~。
土曜午后4時、
妹と矯正専門医の岡本先生がまだ診療している中、
「お先にごめん!では、行ってきまする。」とスタッフに別れを告げ、
向かいました札幌へ!
目的は、大学時代の同級生である平木君に会うためです。
平木君は、ただのクラスメートということだけでなく、
少林寺拳法部で、汗や涙、笑い励ましながらともに6年間を
過ごしてきた大切な仲間の一人です。
その平木君が数年前、病で倒れ、今はリハビリ中心の生活を送っています。
一昨年、少林寺拳法部時代の仲間と平木君に会いに行きました。
今回はその2回目であります。
ここのところ、立て込む行事が続いていましたが、
「仲間とともに平木君にまた会える!」ということが
とってもとっても楽しみで、またそれを励みに
今日までがんばってこれた、そんな気がします。
仙台空港でまず、拳法部時代ず~っとパートナーとして組んでくれた
鈴木直子さん(仙台市青葉区開業)と合流し、千歳空港へフライト。
ちなみに彼女は、卒業後も少林寺拳法を続けていて今や5段!
しかも、全国大会で日本一!いや世界一にもなったはず。
まさに彼女は私達同期の花形であり、誇りであります。
札幌で合流したのが、
矢口敦久君(北海道旭川市開業)と 茂木紳一先輩(北海道八雲町開業)。
矢口君はいつ会っても「永遠の少年」のようで、
また、茂木さんはドスのきいた声と独特の口調で
いつも私たちを笑わせてくれます。
さて、以下今日一日の写真です。
朝食後、チェックアウトし、平木君との待ち合わせまでの
ワクワクのひととき!
一昨年会ったときよりも、かなり元気になっていた平木君。
奥様が「皆で写真を撮りましょう」と言って下さったとき、
「私達自身のカメラでも写真とってもいいですか」の問いに
「いいですよ~」とおっしゃって下さり、皆でパシャッ!
「平木君も今日この日をとっても楽しみにしていた」とお聞きし、
そして、「また来て下さいね」と奥様からも言っていただき、
「あ~、来てよかった~。」と実感。
「平木君、また来るね!ありがとう。」
平木君と別れ、札幌駅まで歩いて帰る途中。
私たちのずっと後ろに見えるのが、旧北海道庁。
市内には、雪がまだまだドッサリありました~。
駅の地下のライオンで乾杯~!(運転控えてるので、私ノンアルコ~ルビ~ル~)
昨夜8時半ころ皆で合流して、別れるまでの約20時間。
呑んで、食べて、しゃべって・・・・・。
一日ずーっと一緒にいても違和感がないのは、かつて合宿などで
何日も生活を共にした仲間だからかな~?なんて話をしながら
私たちは札幌を後にしました。
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