2011年5月31日火曜日

マザーテレサ 

「あなたの中の最良のものを」

人は不合理、非論理、利己的です
気にすることなく、人を愛しなさい

あなたが善を行なうと、
利己的な目的でそれをしたと言われるでしょう
気にすることなく、善を行いなさい

目的を達しようとするとき、
邪魔立てする人に出会うでしょう
気にすることなく、やり遂げなさい

善い行ないをしても。
おそらく次の日には忘れられるでしょう
気にすることなく、し続けなさい

あなたの正直さと誠実さとが、
あなたを傷つけるでしょう
気にすることなく、正直で誠実であり続けなさい

あなたが作り上げたものが、
壊されるでしょう
気にすることなく、作り続けなさい

助けた相手から、
恩知らずの仕打ちを受けるでしょう
気にすることなく、助け続けなさい

あなたの中の最良のものを、この世界に与えなさい
たとえそれが十分でなくても
気にすることなく、最良のものをこの世に与え続けなさい

最後に振り返ると、あなたにもわかるはず
結局は、すべてあなたと内なる神との間のことなのです。
あなたと他の人の間のことであったことは一度もなかったのです。

  ~ マザー・テレサ ~

前ブログでは、祖母の一句をアップしましたが、
今日は、マザー・テレサから全世界へのメッセージ。

          ※

2011年5月24日火曜日

祖母の一句

「 病い得て 余儀なく入院 五月晴れ  泉香 」

この句は、今はなき祖母が26年前に詠ったものです。

祖母は父親の母で、名前は「小田部(おたべ)とめ」。
お歌を詠むときは 「泉香」 。


   お医者様に入院するように言われ、しかたなく入院したけれど
   またすぐに元気になるでしょう、と
   沈んでいる様子でもなく、暗さや重さも感じられない。
   「五月晴れ」という言葉からは、むしろ、「晴れやかさ」が伝わってきて、
   そんな祖母の気持ちが、読み取れる一句でした。

しかしながら、その入院のまま祖母は亡くなってしまいました。
昭和60年5月22日。

大学を卒業してちょうど1年たったばかりの私にとって、
成人して初めて接する「死」でした。

そして、昨日はその27回忌の法要。

あれから26年も経ってしまったのかと、
時の流れのはやさに驚き、
当時、般若心経を読解し、「輪廻転生」の本を夢中で読んでいた
そんな昔の自分の姿を懐かしむ
機会でもありました。

この日は、同時に
祖父・小田部利(とし)の23回忌、
伯父・小田部晃(あきら)の17回忌も執り行われました。

父方の親戚が集まり、顔を合わせるのは震災後初めて。

日頃の無沙汰を詫び、ともに元気であったことを確認し、
これからも体に気を付けていきましょうと互いに励まし合いながら
また別れる。

そんな当たり前のことだったのですが、
皆無事で、再会できたことがが、とっても有難いことで、
それが幸せというものなのかもしれない・・・
そんなことを痛感した一日でもありました。

合掌

             ※

2011年5月18日水曜日

Shanta from Qatar


今日は、とってもとっても懐かしい友人が訪ねて来てくれました。
遠い国、カタールから!

写真中央が、シャンタさん。

彼女は、アメリカ、ニューヨーク大学出身。
1996年ころから2000年までの数年間、
ALTとして、つまりAssistant Language Teacher 外国人語学講師助手として
京都、札幌、宮城に滞在し、英語を教えてくれていました。

もちろん、わたしもその生徒の一人で、
彼女が日本を離れる前までお世話になりました。

週1回、診療後、シャンタさんの部屋を訪ね、
個人レッスンをうけ、そのあとはおしゃべり~。

彼女は敬謙なイスラム教徒。
その文化や習慣の違いを教えてもらったり、
ニューヨーク出身なので、N・Yの話で盛り上がったり・・・。
(ニューヨークは、当時一番大好きな街でした。
 その後、イタリア・ミラノに行くまでは・・・・)

また、学校の授業のない時間に、患者さんとして診療に通い、
時には、一緒に美術館に足を運び、
ランチ誘っても、ラマダンなのと断られ、などなど・・・。

異国の友人達との思い出は、またひと味違った楽しい記憶として
よみがえります。

そして、このたびなんと10数年ぶりの再会。
しかも、9歳の愛息子連れて!

日本出国直後は、オマーンで英語の先生をして、
今は、その隣の国カタールで、やはり英語教師として活躍しているとのこと。
今は夏休みだそうで、1週間しか日本に滞在できないということで、、
あすは被災地にいってボランティア活動し、20日には
カタールに向けて発つと言っていました。

久しぶりにシャンタさんに会えて、母も大喜び!

元気出たよ、シャンタさん。
訪ねてきてくれて本当にありがとう!

 It was very nice meeting you, again !
Thank you ,Shanta!!

                                                ※

2011年5月6日金曜日

復興構想会議

あれは、4月の半ば。

いつものように (というよりも、震災後は、きまって)
夜9時からのNHKのTV番組
ニュースウォッチ9を見る時間帯に合わせて
お夕飯を食べていました。

その番組でのインタビュー。

回答と解説は、
振興構想会議の検討部会メンバー、藻谷浩介さん。

日本政策投資銀行参事役で、
著書「デフレの正体」はベストセラーだということです。


「被災地の復興について、どうように考えているか?」
という質問に対してのコメント、

「自分は過去に国内ほとんどの町を訪れていて、
 その地域の特性を知っている。

このたびの地震や津波で沿岸部は大きな被害を被ってしまったが
水産資源は被害を覆っていない。
豊かに水産資源が残っている限り、被災地は必ず復興します!」と、

言い切った。

凄い!

頼もしい~。
この力強さ。

食べるのも忘れ、思わず手を叩いてしまいました。
「これだ!この言葉を待っていたのだ!」と
私と同じように思った方もきっと多いはず。

断言して下さったこの言葉を
被災された町の住民の方がきいていたら、
どれだけ励みになっただろう!
どれだけ救いになっただろう!

その言葉の中には、
決して誇大な表現があるわけでもなく、
まわりくどい説明するでもなく、
専門用語など難しいことばなど使わずに
終始、誰がきいてもわかりやすく、
何よりも、その話し方が誠実だった。

そのような印象でした。

ニュースやテレビ番組で、
できれば、また藻谷さんの力強いコメント聴きたい、、
などと思っていたら、

宮城県で新たに設けられた「震災復興会議」の
12人のメンバーのお一人として、バッチリ入っており、
早速5月2日、第1回目の会議が執り行われました。

まずは、8月中に復興計画を策定する予定ということですが、
藻谷さんはじめ、専門家の方々よろしくお願いいたします!


               ※

2011年4月29日金曜日

四十九日

一緒に住んでいた祖母がなくなって、
早13年も経ちますが、
四十九日を迎えたときの感情は
今でもはっきりと覚えています。

そう、あれはちょうどその日。
和尚さんが自宅に来て、般若心経を唱えて下さったときのこと。

般若心経の最後のほうに

羯諦   羯諦    波羅羯諦    波羅僧羯諦
ぎゃてい ぎゃてい はらぎゃてい  はらそうぎゃてい

という言葉が出てきます。

それまでは、
「ぎゃてい」 という言葉を聴くたびに
非日常的な発音で、まるで亡くなった方の叫びにも聴こえる・・・
そんな風に感じていました。

が、その時は、「諦める」という文字が
妙に気になり、和尚さんに訊ねました。

「今、般若心経を唱えていただき、
 ようやく祖母が亡くなったことを受け入れることができました。

 祖母はもう生きてはいないのだということを
 ようやく諦めることができたのです。

   「ぎゃてい」という言葉を聴き、
   「諦める」という文字を見た瞬間にです。

 私、間違ってますか?」 と・・・。

すると、和尚さんは、

「恐らく、おばあさんも諦めているでしょう。
 この世で生きるということを。

 また、もう自分はこの世では生きてはいないのだ 
 ということを悟っていることでしょう。

 おばあさんはこの世にはいないということを
 家族や周りの方々、それから誰よりも本人が
 明らかにすること、つまり明らめることで、
 諦め、成仏するのだと思います。」

私の問いかけを否定することなく、応じて下さいました。


そこではじめて、
祖母のお骨を納骨することに同意することができ、
同時に、
私自身の心の置き場所も見つかったような感覚になりました。

そして、
ここまでくるには四十九日という長い時間を要することなのだな、
ということに、うなずけました。


しかしながら、このたびの大震災。

あの日から49日。

49日も経っているというのに、
まだ行方のわからない方が11,324人も!

まだ、家族の行方がわからないご遺族の方々にしてみれば
どのような意味をもたせようともこの49日間は、
まったく意味のなさない時間。

26日の検死は、気仙沼でした。

9人の方の冷たく冷えきった体を拝見しましたが、
その方達でさえ、ご家族に会うまでもう少し時間がかかり
「諦める」までにも時間がかかるかもしれない・・・。


修証義の冒頭。

生を明らめ、   死を明らめるは、 仏家一大の因縁なり
しょうをあきらめ、しをあきらめるは、ぶっけいちだいのいんねんなり


昨日は、たくさんの被災地で、慰霊祭が行われました。

3.11の震災で犠牲になられた方々全員が、
天に召され、天国で幸せになりますように
ただただ、お祈りするばかりです。

      ※



 

2011年4月19日火曜日

4月の雪

今日は雨。
そして、夕方から雪にかわり、寒い一日でした。

今日の身元確認作業は、石巻飯野体育研修センター。
石巻市合併前の河北町。
旧北上川の川沿いにある町でした。

車で15分ほど行ったところに大川小学校があります。

大川小学校は、あの日、
授業が終わって、これからお家へ帰るという時間帯に地震が発生し、
皆で校内で避難しているところへ
2階建ての校舎まで津波が押し寄せてきた学校です。

108人の児童のうち、
74人が死亡、又は行方不明になってしまいました。

今もまだ、3人の児童の行方がわかっていません。


現場から県警本部に戻り、
今日一日、一緒に作業していただいた古和田先生に
駐車場まで送っていただき、
自分の車を「さあ運転しよう!」というところで、
雨が雪にかわりました。

夕方の暗さに加えて、雪雲に覆われた灰色の空。
風も強く、斜めに降る雪。
もう4月だというのに、堂々と降っている。

街並みが途絶え、田んぼの中を走る国道に景色が変わった途端に
急に涙が溢れてきてしまいました。

灰色の空。
斜めに降る雪。

この情景を目にした瞬間、あの日が思い出され、
と同時に、
その時、あの大川小学校や海沿いのいたるところに
津波が押し寄せ・・・。

そう思うと、ますます涙は止まらず
しばらくは泣きながらの運転でした。


今日は本当に寒い日だった。

       ※

2011年4月18日月曜日

生かされているということ

このたび、何人ものご遺体に接し、

生きるってなんだろう?
生きているってこういうこと?

今さらながら・・・・ですが、
そのような問いかけが何度も何度も
自分の中で、繰り返されていました。



初めての身元確認作業の翌日の診療。

自分の目の前にいる患者さんは、
「お口開けて下さ~い」と声をかければ
反応し、開けて下さる。

「このあたり感じますか?」とお聞きすれば
痛ければ痛そうに、
そうでなければ、痛くないと首を振って反応して下さる。

口を開けていると、唾液が出てくるので、
アシスタントがバキュームをする。

そして・・・
何よりも、頬が温かい!


あ~、これが生きているっていうこと?


私たち、生きているんだ!


生かされているんだ!


ごく当たり前の体の動きや反応なのに
そう思った瞬間、涙があふれてきて止まらず、
しばらく診療になりませんでした。



神様!

ありがとうございます。

亡くなられた方の分まで、精一杯生きていきます。


              ※