2012年4月11日水曜日

遠方からのお客様~北海道~



あの日から1年と1か月。

震災から1年ということで、
被災地へボランティアやお見舞いにいらして下さった方が
佐藤歯科にもお寄り下さいました。

まず、3月末に北海道から友人が、
気仙沼にボランティに行くということで
その前日、佐藤歯科と佐藤家に来てくれました。
たくさんおみやげ持って!

彼女の名前は妙子ちゃん。
JAL国際線のスッチーでしたが、
今は会社を設立し、ストレッチのトレーナーもしている
ツワモノです。

姿勢がわずか5秒で抜群に綺麗になるというストレッチで、
今回は被災地で姿勢教育のボランティア活動があるということで
そのお手伝いで気仙沼に行くということでした。

「姿勢がよくなり、ダイエットしなくても自然に痩せる」らしく
ならば、「ウチでも、ストレッチ教えて~」とお願いし、
一部のスタッフが診療の合い間に教えてもらったところ、
えらく感動していました。

妙子ちゃん、遠いところ吉岡まで来て下さってありがとう!
今度は、佐藤歯科でがっちりストレッチ教えて下さいね~。


♡  ♡  ♡

2012年4月8日日曜日

歌姫 Whitney Houston

この土曜日は5時すぎまでがっちり診療でした。

スタッフのみんなが帰ってから、
書類の整理やメールチェック等々をして、自宅に戻ったのが9時。

お夕飯を食べながらテレビでも、ということでスイッチONしたら、
なんと!ホイットニー・ヒューストンがテレビ画面いっぱいに出ていました。

うわ~、懐かしい~!
ホイットニーの曲はよく聴いたな~。

どうもNHKのTV番組「SONGS」が彼女を特集していたようでした。
その番組を観ながら、
私の中でのホイットニーの記憶が巻き戻されていくのが
自分でもわかりました。

あれは、今から何年前だろう?
まだ東邦歯科診療所に勤務していた頃だったかもしれない。
ホイットニーの大ファンという同僚の歯科衛生士と二人で、
仙台公演に行ったっけ。

場所は仙台市体育館。
席は、最前列。

ステージに立つ彼女の姿は可憐で、清潔感が漂っていました。
その細くて長~い脚線美に見惚れ、
体の芯まで響く彼女の「生の歌声」に聴き惚れ、
心を揺さぶられた2時間。

その時、感じた第一印象は今でもはっきり覚えています。

日本の演歌と同じだ!
まるで演歌歌手都はるみが、こぶしを効かせて
唄っているときのようなあの力(りき)み!
それをあちらの国では何というのだろう?

とにかく、その迫力は圧倒的でした。
(もちろん、都はるみとはまったく比べものにならない)

う~ん、「歌をうたって」表現することそのものには、
日本もアメリカも同じ。
国籍など関係ないのだ、と・・・。

そう実感したホイットニーのステージ。

もう一つの記憶は、1993年あるいは1994年の2月、
アラスカにオーロラを観に行った時の帰りの便で。

アンカレッジからシアトルまで戻るフライト中、上映されていたのが、
あの映画!(う~、名前思い出せませ~ん~・・・苦しい~)
ケビン・コスナーと共演の、あの映画です。

当時まだ日本では上映されておらず、
「わ~、ヤッタ!タダで観れる!」などと喜んでいたのも束の間。

まったく字幕なしだった(中国語の漢字の字幕さえなかった)ので、
乏しい英語力と映像の変化だけからしか
ストーリーをキャッチできなかったあの映画、トホホ・・・。

映画の中で歌われる曲はすでに日本でもヒットしており、
その素晴らしさは心に沁み込んできました。
そう、忘れもしない
「 I Will Always Love You 」

こみ上げてくる強さを感じつつも、なぜか心穏やかになるこの曲。
いつ聴いても、「魂まで届いてる~」と感じられずには
いられないメロディー、彼女のボイス、ハート。

なぜ彼女は死ななければならなかったのだろう・・・。

「歌姫ホイットニー・ヒューストンの死」という世界的な損失を
改めて感じた夜のTV番組でした。
そして、
天国でも歌い続けていて欲しいな、と・・・・。


♡  ♡  ♡

2012年4月4日水曜日

アスリートの言葉 2

水泳選手の北島君のインタビューをきいて
感動に似た心地よさを感じていた私は、
ふと数か月前のあるインタビューを思い出しました。

そう、それは今年のお正月、恒例の大学駅伝で
見事優勝した東洋大の柏原君のインタビュー。

彼は福島県出身。

震災後ふるさとに帰り、被災地の皆さんが
大変な状況にあることを目の当りにしたとき、
「自分はこのまま走っていてよいのだろうか?」
という迷いもあったと聞いています。

その迷いを乗り越えての堂々の結果!


「つらくなかったですか?」の問いかけに、
「僕がつらいのはたった1時間だけ!
福島の皆さんに比べたら、全然つらくありませんでした!」

がっちりと言い切った柏原君。

一緒にテレビ観戦していた甥っ子と私は
思わず互いに顔を見合わせ、
「スゴイ!説得力ある~」

その言葉は、心の奥底に響きました。

駅伝という試合の初めから終わりまで
まるで人生を集約したかのような闘いで、
苦しさも辛さも皆にさらけ出しながらも獲得した
勝者の言葉!


過去4年間、毎年お正月に観る彼の走る姿ともダブって
その言葉は、私達を無条件に唸らせます。


苦しそうだった柏原君が
ゴールイン後、自信と充実に満ちた姿にかわったインタビュー。
自然と涙が溢れてきて、
その姿、かすんで見えなくなってしまいました。

柏原君、走ってくれてありがとう!


♡  ♡  ♡

アスリートの言葉

日本列島が春の嵐に、包まれていた今日、
北島選手が100メートル平泳ぎで
ロンドンオリンピック出場の切符を獲得しました。

水泳や北島選手については何も知らないので、
ニュースで知る情報は、とても新鮮です。

五輪出場は今度で連続4回目?
日本記録更新した?
100分の1秒縮めた?・・・・などなど

北島選手のインタビューでの言葉が
何よりも力強く、頼もしかった!

とにかく
「若くて強い選手に負けたくなかった」
「強い自分でいたかった」・・・という気持ちビンビンに伝わってきた。
そして
「日本記録更新は自分でもさすがだと思った」
「自分をこうさせたのはオリンピックだろう」


う~ン、素晴らしい~!

それらの言葉を聞いたときに
堂々とした清々しさを感じたのは、恐らく私だけではないはず。

そして、
まだ外では猛威を振るっている暴風の力強さと
北島選手から漲ってくる力強さとが
なぜかバシッと合致しました。


♡  ♡  ♡

2012年3月14日水曜日

古巣 東邦歯科診療所

今日は朝から、かつての勤務先・東邦歯科診療所で診療でした。

院長の吉田直人先生と代診の先生が
出張で留守になるということで、
「留守番をしてくれないだろうか」と、
前々から院長から話があり
それに伴い佐藤歯科の患者さんの予約を制限しつつ
あとは妹に頼んで、
留守番をお引き受けすることになりました。




東邦歯科診療所は
昭和61年の春から平成元年の春まで、
お世話になった診療所であります。

言い換えれば、私を育ててくれた診療所であり、
卒後3年めから3年間、勤務した私にとって、
古巣のような存在になってしまったことに
まちがいはありません。

当時、歯科衛生士の実習生として見学にきていた学生は
今や東邦歯科診療所のなくてはならないベテラン歯科衛生士となり、
技工面で、いろいろとアドバイスをしてくれた腕の利く技工士さん二人は
東邦歯科の技工だけでなく、現在、佐藤歯科の外注技工も引き受けて
製作してくれています。

そして、院長、吉田直人先生は、
仙台歯科医師会の会長職に就く前でしたので、

日々の診療に非常に熱心だったことはもちろん
(→意欲的に診療に取り組む姿勢を学びました)
毎週日曜日たびの研修会や講習会も熱心で
    (→この時のなごりでしょうか、日曜日たびに講習会を
   受講することが当たり前になってしまいました) 
歯内療法学会(当時は協会)の学術大会の事務局もこなし、
        (→、リーダーとしてのあるべき姿も 見せていただきました)
米国歯内療法学会のアクティブメンバーとして海外研修にも参加する
(→私も米国の学会に参加する機会が与えられ、
日本はいかに歯科後進国かを知りました)

など、実に多くのことを教えていただきました。

そんな、東邦歯科診療所。

1~2日の留守番は、私にとって当然の役目であり、
と同時に、「初心に帰る」よい機会でもある訳です。

♡   ♡   ♡

2012年3月11日日曜日

3.11 絆

あの日から1年。

私は今日この日を迎えるにあたり、実は不安な気持ちでいっぱいでした。

この2ヶ月の間、何を思っていたかというと・・・


1年前は
津波で亡くなられた方々は元気に生きていた
仮設住宅で余儀なく生活をしている人達は自分の家があった
放射能汚染などなかった
なのに、あの日を境に、すべてが変わってしまった


どうしても、1年前を振り返ってしまう日々でした。

そして
あの瞬間から1年となる3月11日、日曜日 2時46分
私はその時を迎えられるだろうか?
どのように迎えたらよいのだろうか?
あの時の記憶がよみがえってきたら、どうしたらよいのだろう?

とても怖い気持ちが私を襲いました。

津波の影響を受けていない私でさえ、こんなに不安に思うのだから、
沿岸で被害を受けた方々は、どれだけつらい思いで
この日を迎えるのか・・・

そう思うと、心が痛み涙が止まりませんでした。


そして、今日。

東京から友人が励ましに来てくれました。
何日も前から放送されている震災復興の特別番組を見ながら、
その時間、亡くなられた方々に黙祷を捧げ、
気持ちが幾分落ち着いたところで、
街に出ました。


私が愛用しているテレビはまだアナログでした。
岩手、宮城、福島は地デジ放送への変更が
3月31日まで延長されてることに加えて
私自身、テレビを新しくすることになぜかとても抵抗があったのです。

しかしながら、いよいよ変更しなければならない時期がやってきて
今日、ようやく新しいテレビを探し求める気持ちになりました。

友人には、テレビの買い物に付き合ってもらい
そのあと、見送りに仙台駅へ。

上の写真は、
駅の構内にある東北物産の催事場に貼ってあったポスターです。

下の写真は、その様子を上から撮ったもの。
駅は、この日慰霊に訪れたと思われる人々で混んでいました。



そして、さらに


東京までの新幹線「はやて」が
普段は1時間おきに運行されるのですが、
15分おきに発車するほど、
東北を訪れた方が大勢いることが見込まれた運行時刻。

今日、励ましに来てくれた友人をはじめ、
普段メールやフェイスブックなどで
連絡を取り合ったり、意見を交わしたりする友達や先輩、後輩が
とても心強く、いとおしくなりました。

そう思う気持ちや、
ちょっとしたことでも連絡を取り合うことが
「絆」なのかもしれませんね。

みんな、ありがとう!

♡ ♡ ♡




2012年3月3日土曜日

ガラスに入ったお雛様



2月のある日曜日、講習会から帰り家に着いたら、お雛様が飾ってありました。
「わ~、懐かしい~。まだ健在だったんだ~。」

このお雛様は、私達姉妹が小さい頃祖母に買ってもらったものらしく
ともに長い年月を過ごしてきた仲間ようなもの。
そう、かれこれウン十年・・・。

ガラスのケースに入ったままなので、場所をとるわけでもなく邪魔にならず、
ホコリもかぶることなく、きれいなままで保管されています。

しか~し、小学校のころの私は、
このお雛様があまり好きではありませんでした。

お友達の家に遊びにいくと、
部屋いっぱいに飾られたお雛様が羨ましくて羨ましくてしようがなかったのを
今でもはっきりと覚えています。

自分達の背丈くらいの高さの大きな階段に
真っ赤な絨毯が敷き詰められて、
その上に堂々と並べられた雛人形。

なんで、ウチのは小さいの?
なんで、ウチのは赤くないの?

「お雛様」というと、
お友達が羨ましかった、あの気持ちがよみがえり
胸がキュ~ンと熱くなります。

♡  ♡  ♡