2010年7月18日日曜日

エリザベス・キュープラー・ロス

学生の頃、愛読していた
エリザベス・キュープラー・ロス女史の「死ぬ瞬間」(読売新聞社)。


何かことあるごとに、この本を開いては、
自分を納得させています。


この本は読んで字の如く、「死」について書いてあります。


例えば・・・
「死」を宣告された患者さんは、いくつかの心理状態を踏む
と言ってます。


患者さんは、医者から「死」の宣告を受けると、心の「衝撃」を受け、
そんなこと、あるはずがない!と「否認」し、周りから「孤立」する。
  (我々は皆、無意識下に、自分には決して死は起こりえないとする
   基本的な知識をもっている。無意識にとっては、自分の生命が
   この地上で終るなどとは想像もできないのである、といっています)


「孤立」のあとには、「怒り」「取り引き」を経て、「抑うつ」になり
「受容」へと心が変化していく、と語っています。


ところが、「死」を宣告された患者さんだけでなく、
我々が「喪失」という場に直面した場合も、それを受け入れるまでに
やはり同じ心理段階を踏む可能性があるということを、
彼女の別の著書「ライフレッスン」で語っていると
NLP仲間であり、カウンセラーである中嶋美知さんに
教えていただいたことがあります。



今、私は久しぶりにキュープラー・ロスの本を
読みたいという衝動にかられています。



このたびの、家屋解体は、
自ら解体することを決定し、依頼したものであり、
あらかじめわかっていたことではありますが、
「喪失」に近い現象であることと、
   (壊す→失くす→喪失)
私自身、この心理段階に似たステップを踏んでいるような・・・
そんな、気がします。
突然の喪失とは違うので、心の衝撃の度合いが高くはないにしても・・・。

恐らく、時間の経過とともに受容する。

少しずつ家を壊し失ったことを受け入れることのできる状態になるのでしょう。




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